無理やり写真を趣味にしようと思って中古のOM-Dを買ったらコスパ最強だった話

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これから仕事で写真を撮る機会が増えるので、写真を趣味にすることにした。というか、趣味にしなくてもすっかり仕事と趣味の境目が曖昧になってしまっている。勤めていたときには考えられなかったことだけど、もうスイッチのオンオフというのはないんだなと思う。

カメラは10年くらい前に一眼レフの入門機を持っていた。いろいろ触ってみたのだけど、思ったような写真が撮れなかったのであまり活用はできなかった。ISO感度と露出の違いもわからなかったし、レンズを交換する意味もわからなかった。それに重くてかさばるので、持って外に出る機会はどんどんなくなっていった。だから、一眼レフだからといってプロみたいな写真がとれるわけではないということは知っていた。腕がまったくないので、それを補うためにそれなりのカメラを入手する必要がある。といっても、会社を始めたばかりで収入の少ない身からすると、大きな出費はできない。

いろいろ調べていたら、ミラーレス一眼というものがあることを知った。機構が簡略化されていて、普通の一眼レフよりもコンパクトなのだそうだ。持ち運ぶことを考えると、サイズが小さいのは魅力的だ。その中でもオリンパスのOM-D M1という機種が目を引いた。子供のころに家にあったフィルムカメラみたいでかっこいい。ファインダーがない普通のミラーレスだと、写真撮ってるっぽさがでないので魅力半減だけど、これはファインダーもちゃんとついている。

決定的だったのは、プロのカメラマンも常用しているというこの記事を読んだことだった。いろいろなところでミラーレスは一眼レフと比べて写真の質が落ちると聞いていたけど、どの写真もドラマチックですばらしい。作品はAdobe Photoshop Lightroomで現像していますと書かれてあったが意味がわからないのでスルーすることにした。

【私がOM-Dを使う理由。- My Style, My Olympus -】Vol. 01:地元の隠れた“絶景”を探して〜木村琢磨さん - デジカメ Watch

アマゾンで見たらOM-D M1の価格はレンズキットで158,000円だった。まあこんなものなのだろう。が今はちょっと手が出せない。なにしろこっちは完全な素人なので使いこなせるかどうかも自信がない。が安いカメラを買ってもそれなりのものしか撮影できないことはわかっていた。とりあえず様子をみようかなと思っていたところで、ふと見たらOM-D M5というワンランク下の機種が中古で本体のみ35,000円で売られていた。

3年ほど型落ちの機種だけど、わたしには十分だ。ただ本体だけとなると、レンズを別途購入しないといけない。カメラというのは下手をすると本体よりもレンズのほうがお高いものだということを学習したばかりだ。いろいろと調べてみると、OM-Dのレンズはマイクロフォーサーズという規格で、LUMIXのレンズも使えることがわかった。わたしはパナソニック信者なのでこれも気に入った。ネットにLUMIXの20mmは神レンズと書かれてあったので、それを鵜呑みにして一緒に購入することにした。単焦点のレンズなのでズームはできないが、そのぶんズームレンズよりも明るい写真が撮れるらしい(レンズには固有のF値というのがあって、小さいほど明るいんだそうだ。F1.7というのはそうとうに明るい部類らしい。ただ、明るくてなにがいいのかはこのときはわからなかった)。ズームできないということに不安があったが、その画角でしか撮影できないというのはずいぶん男前な感じもする。

数日して、カメラとレンズが届いた。ここから素人感満載の感想ばかりなので、カメラに詳しい人は呆れるかもしれないけど恐れずに書く。慣れない手つきでレンズをとりつけてみると相当コンパクトだ。これならカバンの中にも放り込んでおける。けっこうモノは雑に扱うほうだ。試しに何枚か撮影してみた。マイクロフォーサーズはセンサーが小さいのでボケにくいとネットには書かれてあったけど、絞りを開くとちゃんとボケてくれる。明るいレンズというのは、光を取り込む穴の面積が大きいということで、光が通る面積が大きいということはそれだけピントがあう距離の範囲が狭くなる。つまりボケやすい。ようやく明るいレンズが良いという意味を理解した(気がした)。スマホよりもずいぶん見栄えがいい写真が撮れたので、とりあえず写真は楽しいものだということがわかって安心した。仕事のために無理やり趣味にすることにしたのだけど、楽しくない趣味というのはつまりただの仕事でしかない。

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マイクロフォーサーズのレンズというのは、35mm換算だと値が倍になるのだそうだ。つまり自分が持っているのは20mmのレンズだから40mm。その35mm換算という寸法をよく理解はしていないが、35mm換算で40mmのレンズを持っているといえば誰でも、ああそれくらいねとわかるらしい。で、今度は35mm換算で100mmくらいのレンズが欲しくなった。それなら最初からズームレンズを買えよという感じなのだけど、いいズームレンズは高くて10万くらいするんである。しかもその画角だけの性能なら単焦点のほうがよかったりする。気が付いたらシグマというメーカーの60mm(35mm換算120mm)をアマゾンでぽちっていた。よくカメラ屋でレンズがショーケースに並んでいるのを見て、なんじゃこれはレンズとか一個でいいじゃないかと思っていたけど、ようやくたくさんある意味がわかってきた。この画角ならこれとか、風景を撮りたいならこれとか、ズームしたいならこれとかいうふうに、レンズには一長一短があるのだ。とても恐ろしい。ビックリマンチョコに最強のシールが存在しないのと同じだ。金もないのにふらふら買ってしまいそうだ。本体に3万5千円しか出してないのに、今度は8万の広角レンズを普通に買おうかなとか思ってしまったりする。ろくにまともな写真も撮っていないのにレンズばかり集めてもただのマニアになってしまうので、我に返ってしばらくはこのふたつのレンズで練習すると決めた。

2週間くらい使ってみたところで、写真についてわかったことがふたつあった。ひとつは、画像フォーマットはRAWにしろということ。JPEGでもどうせピクセルに戻すのだから同じだろうと思っていたけど、あとで編集するためにMacで開いたらRAWのほうが断然加工しやすいということがわかった。ちなみにPhotoshopは3年くらい前に買ったものがあったがどうしても使いこなせなかったので、Affinity Photoというソフトを購入した。セールで4,800円だった。Lightroomがなにかも最近ようやくわかった。わたしはアドビに思い入れはないので、もうSketch3とAffinity Photoがあれば十分という気がしている。

affinity.serif.com

もうひとつは、100枚撮ったらなんとなくいい感じの写真が1枚くらいはあるということ。特に、いろいろ構図やらを考えて最高のショットを狙ったものよりも、とりあえず撮ってみたものの中に奇跡の一枚があったりする。これはある意味ロングテールというか玉石混合のネットっぽいというか、面白い発見だと思った。ちなみに、冒頭の写真はなにげなく通りかかった近くの野生の方のお宅を撮影したもの。今のところこの写真が一番気に入っている。

以下は初詣の川崎大師にて

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丸の内にて

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起業して収入がほとんどなくなっても税金が減らないという話

起業して半年がたった。会社を始める前は、しばらく収入はほぼなくなるけどその分税金は払わなくてよくなるわーと思っていたが、それがまったく間違いだったことがわかった。これから起業する人のために記しておくことにする。

会社を始めるときには、役員報酬というものを決めないといけない。これは一度決めたら、一年間は同じ額を払い続けないといけない。そして売り上げのないスタートアップの場合、その報酬は基本的に資本金から捻出することになる。資本金というのは、わたしがサラリーマン時代にあくせく働いて、税金を納めて残った大事な大事なお金で本当は息子を大学に行かせるために使われるはずのものだ。そのわたしの資本金からわたしに役員報酬を払うと、そこから所得税が持っていかれる。これは本当に意味がわからん。さらに資本金が底をついてくると、会社に、社長から借り入れるということをしないといけなくて、またお金を個人の口座から会社の口座に戻すというマッチポンプのような作業が必要になる。わざわざ銀行に出向いて振込手数料を払いながら数字だけが銀行を移動していくのを見るとなにをやってるんだという気分になる。

それなら役員報酬なんか、売り上げが上がるまでゼロでいいだろうと思うかもしれないけど、そうはいかないんである。なぜかというと、わたしの生業はウェブサービスで、ソフトウェアの開発人件費は資産計上されるからだ。つまり、いくらわたしに給料を払っても、リリースしない限り経費にならないし、5年かけてやっと全額経費になる(年に20%しか経費にできない)。

わかりやすく説明すると、年間の売り上げが500万だとする。わたしの会社は将来めちゃめちゃ儲けるつもりなので、この売り上げは赤字にしたい(赤字分の控除は9年繰り越せる)。今期赤字を出しておくことで、2期目以降の法人税負担を軽くすることができる。シミュレーションすると、トータルで50万近く税額を抑えられることがわかる。ところが、ソフトウェアの開発人件費が資産計上されるために、今わたしに支払っている役員報酬がすべて費用として計上されるのは5年後だ(リリースしなければもっと遅くなる)。つまり、将来の費用を今払わないといけないということだ。この期間は個人の所得税と、資産分の法人税がのしかかってくることになる。

いろいろな経営方針があると思うが、わたしは将来のことを考えると、今自分にそれなりの額の役員報酬を払っておいたほうがいいと判断した。だから大事な種銭から税金と振込手数料が搾り取られていくのを見ながら自分の口座から会社の口座へ、また会社の口座へと振込を続けている。

ちなみに、昨年の国民健康保険の負担はわたしの地域で年間77万円だ(わたしは元の会社の健康保険に任意継続したがそれでも50万)。それに国民年金が月1万5千円。住民税。収入があることになっているので社会的な保証は一切なし。赤字なのにこれは厳しい。もう毎日泣きそうになっているけど、まあ自分で選んだことなのでしかたがない。

スタートアップのソフトウェア資産計上に関する問題点については、議論と改善を希望したい。

会社を登記して銀行口座をつくるまで

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銀行には法人口座というものがある。そもそもなんでひとりしかいないのに会社をつくる必要があるかといえば、会社名義の銀行口座がないと商売ができないからだ。極端な話、スタートアップにとっては銀行口座をつくるために会社をつくる必要があるといってもいい。個人でもできないことはないが、相手が法人でないと契約してくれない会社もあるし、個人では信用も低い。法人だからといって信用が高いわけではないのだけど、そういう習慣なのだからしかたがない。

そういうわけでまず会社を登記しないといけなかった。会社をつくるために準備しておくものはざっとこれくらいある。

会社名を決める

これを決めないと始まらない。あんまり考えすぎるとそのうちになんかもうこれでよくね?みたいになる。一般的に、ダサい名前のほうが覚えてもらいやすいがあんまりダサいと将来困ることもあるので、バランスを考える必要がある。自分の会社名の由来は長くなるのでまたそのうち。

判子を買う

楽天で会社登記セットみたいなのを8000円くらいで購入。代表印と、銀行印と角印のセット。

ドメインをとる

メールアドレスがあったほうがなにかとやりやすいので、登記する前にドメインをとって、Google Apps for Workでメールが使えるようにした。スタートアップのメールってもうGoogle Apps一択のような気がする。サイボウズがんばれ。

登記する住所を決める

住所がないと会社の登記はできない。オフィスなんぞはないので、バーチャルオフィスを借りるか、自宅の住所で登記することになる。バーチャルオフィスを借りようと思ったのだけど、これまた審査が必要らしい。それにバーチャルオフィスだと銀行口座の審査に通りにくいと聞いたので、けっきょくバーチャルオフィスを使うのはやめた。このへんですでに心が折れかけている。

定款をつくる

なんやかんや書かないといけない。目的欄というのがあって、この会社でやる可能性がある事業を思いつき次第かいていく。飲食店とかやらなさそうなのもいちおう書いておく。あと取締役の任期やら、資本金やらを決める。最初は自分で登記してみようかなとも考えたけど、めんどうくさいので司法書士さんに頼むことにした。

資本金を銀行に振り込む

ただ自分の口座に資本金があるだけではだめなんだそうで、振り込んだことを証明するために通帳をコピーして提出する必要があるらしい。通帳なんかもってないのでまず個人の口座をりそな銀行でつくることにした。なにやってんだという気がしなくもない。口座開設の理由はと聞かれて特に後ろめたいこともないんだけど若干挙動不審になっていやあメインバンクにしたいのでとかわけのわからないことをいった覚えがある。個人の口座は無事その日のうちに開設が完了。資本金はすぐ振り込んではいけなくて、定款の認証が済んでから振り込むのだそうだ。ああややこしい。

定款認証、登記

このへんはもうすべて司法書士さんにお任せした。登記までに定款の認証をしてもらわないといけない。登記した日が創立日になるんだそうだ。あんまり気にするほうではないんだけど、大安に合わせたらクローバ株式会社の創立日は2015年の6月22日になった。第三新東京市に最初の使徒が襲来した日なのだそうだ。

無事会社の登記がおわる

これでようやく銀行に赴くことができる。 やってみてはじめて知ったのだけど、会社ができたからといって、かんたんに銀行口座がつくれるわけではない。昨今は振り込め詐欺やなんやの問題があって、特に都銀でできたばかりの会社が口座をつくるのはかなり難しいのだそうだ。なんで法人の口座が特別なのかよくは知らないけど、振り込み限度額が高いのもあるし、法人の口座だと高額の入出金が頻繁にあっても怪しまれないからかもしれない。

で、続いて銀行口座をつくる編

名刺をつくる

銀行で担当者に渡すために名刺を作った。ネットで1700円くらいだった。ロゴとかはいちおう事前にデザイナーにお願いしてちゃんと作った。

ホームページをつくる

なんで銀行口座をつくるためにホームページがいるのかと思うかもしれないけど、ネット銀行でもホームページがないとだめよというところがけっこうあった。さくらのVPSを借りて半日かけてつくる。写真はネットで購入。とりあえずトップページだけ用意した。なんも書くことないし。 合わせてFacebookページやらTwitterアカウントやらもつくっておく。

銀行へいく

印鑑証明やら会社の履歴事項全部証明書やらそういうのを取り寄せて、銀行に赴く。どこの銀行にいくかぜんぜん決めてなかったけど一番法人利用が多いというのでとりえあず三菱東京UFJに行ってみることにした。りそなさんごめんなさい。なぜかジャケットとか着ていった。

銀行からしてみると、まっとうな取引のある会社だということを証明してくださいとうことになる。口座がないから取引なんかできないんですけどとか野暮なことをいってはいけない。幸い会社をやめてから個人で取引してくれた取引先がいくつかあったので、その契約書を合わせてもっていく。ホームページの印刷も忘れない。窓口のおねえさんは事務的に書類をうけとると、なにかご質問はありますかというので、他にこういうのがあれば審査に通りやすいとかいう書類があれば持ってきますが、なにかありますか? と聞いたら、「あ、逆にですかぁ?」といわれた。ぜんぜん逆にではない。

翌週、確定申告の書類を持ってこいと呼び出しを受ける。そうして待つこと一週間

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無事口座ができました。

これでようやくスタートライン。

会社を辞めてイバラの道を進むことになった

前のエントリーで不定期更新にすると書いてから、ずいぶん間が空いてしまった。この間になにがあったかというと、会社を退職してしまった。だから忙しくてブログを書く暇がなかったというわけではなくて、単に面倒だから放置してしまっていた。もともとこのブログは副業兼趣味で小説を書いていて、そのプロモーション目的で始めたものだった。わたしが勤めていた会社は副業が自由だったので、これの他にも副業をしていた。一年間やってみて現時点では電子書籍は費用対効果がまったく合わないことがわかったので、会社を辞めた身としてはお金にならないことからは足を洗うつもりだったのだけど、ふと思うことがあってこのブログは凍結しないことにした。どんな経験からも得るものはある。ブログを毎週一年間書いてきたことからは副次的に大きな収穫を得た。これからどれくらいの頻度で書けるかはわからないけど、できる限り時間を見つけて書くことにしたい。これを機に、ブログとリンクしているTwitterのアカウントは本アカウントに変更させていただいた。

先週末が最終出社だったので、今週はこれから始めることを考えたり、人と会ったりして過ごした。余計な会議が入ったり頼み事をされたりグループウェアの通知を見たりする必要が一切ない、完全に自由な時間だった。仕事というものは基本的にやりたくないことをする代わりに楽しいことや幸福を得るための対価を得るものだ。あまりにもこの一週間が幸せすぎて、一日の半分をやりたくないことをして過ごすのであれば、やりたいことだけできれば人生が半分になってもいいのではないかとさえ思えた。けど現実は半分の人生でさえ、ただで手に入るほど簡単ではない。

ちょうど1年前に、こんなエントリーを書いた。

ryokdy.hatenablog.com

わたしは22歳のときに小説を書くのに標準語がしゃべれないからというよく分からない理由で上京して、たまたま帰省したときに元奥さんと出会って結婚して、息子が産まれたら奥さんが実家から戻ってこなくなって、それで自分も実家に戻ったらサイボウズという会社が拠点立ち上げメンバーを探していて、上海拠点の立ち上げもやって、東京に異動するときに離婚することになって、副業していたらいろんな人が協力してくれて、なんとなく世の中の働き方が変わっていく感じとかそういえばもう40歳だなとかこれからどういう成長ができるのかとか、そういうタイミングを考えたら独立しない理由がなくなってきた。自分を身の振り方を決めるタイミングを感じて、流れに身を任せる生き方をこれからもしていきたい。共同体を去っても関係が切れるわけではない。去ることで互いに自立した強い関係を築けることもある。

社長からは最後に「かどやさんはこれからイバラの道を進むんですね」と暖かい励ましをいただいた。経験に裏付けされた重い言葉だと思う。今は仲間もいなくて不安しかないし、身ぐるみはがされたら地元に戻ってどこか知り合いの会社に土下座して働かせてもらうつもりだったりするけど、自分がこれまで築いてきた関係やいただいてきたものを信じて、まず目の前のひとりを喜ばせることから精一杯やっていきたいなと。

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2014年変化を感じた10のこと

今年も残り少なくなってきたので、去年同様に2014年にあれこれ今までと変わったなと感じたことをまとめてみた。

1.ドライブレコーダーの普及

実をいうと、きみを監視してたのはジャグジーじゃなくておれなんだ - マチルノニッキ

タクシーのドライブレコーダーの搭載率は5割以上。ニュースでもときどき事故の映像なんかで、いろんな角度から撮影された(つまり別々の人が撮影した)ドライブレコーダーやスマホの記録映像が流れることがある。市民が市民を監視するエコシステムができつつある。

2.Uber

仕事を奪うのは機械やロボットじゃない - マチルノニッキ

10月にサンフランシスコにいって驚いたことのひとつ。去年はそこまで普及していなかったはずだけど、すでにUberがタクシーを駆逐しそうな勢い。業界ではこういう現象を既存ビジネスのディスラプト(破壊)と呼ぶ。

3. DVDをレンタルする必要も買う必要もなくなった

HuluとWOWOWと地上波テレビの違い - マチルノニッキ

あれほど毎週通っていたツタヤに今年は一度も行かなかった。HuluとApple TVとiTunesがあれば必要は感じない。アメリカでVODの普及ですでにレンタルDVD屋というものはディスラプトされている。

4.おっさん向けの雑誌しかない

本屋を覗いても男性向けは見事におっさんをターゲットにした雑誌しかない。音楽雑誌なんかは20年前と表紙のラインナップが変わっていない。

5.メールで個人的なやりとりをすることがなくなった

もしかしたらこの一年間で1通もメール来なかったんじゃないかと思うくらい。来るのはFacebookやTwitterからの通知、クレジットカードの利用明細、もろもろの広告やスパムなど。個人的なやりとりやFacebookやその他のWebサービスを通してしかやらなくなった。メールアドレスを知っている人も少なくなった。メールは通知としての役割しかなくなったんじゃないかと思う。ちなみにLINEはやっていない。

6.中国の物価がおそろしく高い

自由の国と中国 - マチルノニッキ

ここに書いたとおり。体感的には3年前の2倍になった。

7.採用が難しくなった

特にエンジニアの採用が難しくなった印象。景気がよくなったためか、新卒のエンジニアにこれまででは考えられないほど高い初任給を提示する企業が増えてきた。インターンシップに月40万の報酬を払うところも。

8.英語を使う機会が増えた

勉強と学習と訓練の違い - マチルノニッキ

以前から英語は趣味でちょいちょい学んでいた。仕事で使うことはあまり考えていなかったのだけど、最近は仕事でも英語を使う機会が増えてきた。これまで海外のオフショア先と読み書きのやりとりをするくらいだったのが、直接会話をしないといけないようになってきた。外でも外国人から英語で話しかけられることが多くなった気がする。6年後にはオリンピックがあるので、英語の必要性はもっと増えるのだろう。

9.ハロウィンがコスプレの日として定着

2014年はハロウィンが日本で定着した年と定めても良い気がする。都心だけでなく、地方でもあちこちで仮装イベントが行われていた。特に渋谷はセンター街がゾンビとコスプレの集団で埋め尽くされていた。ゾンビはたくさんいたが、お菓子をねだる子どもは見かけなかった。

10.人工知能の進化

最近関心のある話題。今年、「13歳の少年」の設定で参加したロシアのスーパーコンピューターがチューリングテストに合格した。人間だけが思考する能力を持っているわけではないと仮定したとき、なにをもって思考しているとするかは、人間が相手が思考しているかどうかを判断するしかない。唯一思考していると見なされている存在は人間だけだからだ。チューリングテストは1950年代にアラン・チューリングによって、被験者に会話をしている相手が機械か人間かを判定させることで、対象が思考しているかどうかをテストする方法として考案された。人工知能がチューリングテストに合格したのは史上初めてのことだ。ディープラーニングの登場によって機械学習の技術はブレイクスルーを迎えたといわれている。

去年の末くらいからブログを一年間毎週更新すると決めてそれを実践してきたのだけど、ちょうど一年たったのでこれからは不定期の更新にすることにした。世の中のブロガーと呼ばれる方たちは毎日何本も書くのが当たり前らしいからそういう方には遠く及ばないけど、毎週ブログを書くことを自分に強いるというのはなかなかいいプレッシャーになっていて、普段何気なく見たり聞いたりしていたことを自分の中でいったん消化する訓練になった。書くためには自分の考えを整理しないといけない。思考を整理したり、関連する資料を探しているうちに新しい発見があることもあった。どんな記事が検索流入に向いているのかとか、どんな記事がバズりやすいのかも少しわかった。はてなスターがなんのためにあるのかはいまだによくわかっていない。

なんで食べることを強要されるのだろう

クラス全員で給食1年間完食 国分寺中|下野新聞「SOON」

国分寺中2年5組が20日、クラス33人全員で「年間給食完食」を達成した。 全員で助け合いながら残飯をなくし、食の大切さを学んだ。 古口紀夫市教育長は「素晴らしい、聞いた事がない。クラスのまとまりがある証でしょう」と話している。

こういうニュースを読むと、こどものころ無理矢理給食を食べさせられていたことを思い出す。20年前までは、給食を残さないのが当たり前だった。残そうとしても許してもらえず、休み時間や放課後まで食べさせられている同級生もいた。そういうのはだいたい女の子で、ときどき我慢できなくなって教室で吐いてしまう子もいた。

わたしはこどものころから痩せていて、痩せていることがコンプレックスだった。周囲は悪気もなく、お前は痩せているとかガリガリだとかもっと食べろとかいってくる。なんでデブにはいわないくせに痩せたやつにはそんなに遠慮なくいってくるんだろうと不思議に思っていて、人から食べることを強要されるのが大嫌いだった。中学生くらいから食べることがプレッシャーになっていって。だんだん人前で食事をすることが苦痛になっていった。特に林間学校とかそういう泊まりがけでどこかにいかないといけないのは苦手だった。決まった時間に他のみんなと一緒に決められた食事をしないといけないからだ。わたしはパサパサしたパンを噛みながら、あと何回食事をしないといけないと数えていた。中三のときに、給食をまったく受け付けなくなった。給食が机に並べられただけで目の前がぐるぐる回るような感覚になって、吐き気がした。祖母に連れられて病院にいったらバリウムを飲めといわれたがそんなものが飲めるわけもなくて、半分飲んで吐いた。何回か吐いては飲んでを繰り返して、医者は異常はなさそうだといった。結局先生に話して、その一年間は給食を一切食べなかった。給食を食べなくても家に帰るとお腹はすいて普通にごはんは食べるので、困ることはなにもなかった。

高校生のときは弁当で残しても咎められたりしなかったのでまだよかった。それでも人前で食事をするのが苦手なのは変わらなくて、食事を残すと恥ずかしいのでなるべく友達と一緒に食事をする機会を避けた。あるとき紀伊國屋にいって、太る方法が書かれた本はないかと探したが、痩せる本はあってもそんな本はなかった。

大学に入ってひとり暮らしを始めると生活が不規則になって、自律神経がおかしくなってきたのか食べ物を食べてもすぐに吐くようになった。当時モトリー・クルーとかガンズ・アンド・ローゼスとかアメリカ西海岸の音楽が流行っていて、彼らはみなマッチョで酒とドラッグを浴びながらパーティ三昧の日々を過ごしているらしかった。わたしはそういうのにあこがれていたので、今日からめちゃマッチョになってパーティをして過ごそうと決めてピザを頼んだがプレッシャーで気持ち悪くなってモトリー・クルーになるのはその日のうちにやめた。

何度か胃カメラを飲んで検査したが特に異常はないといわれていた。その頃にはなにか自分がメンタル的な問題を抱えていることに気づいていた。だから4年生のときに、大学に定期的に来ていた精神科のカウンセラーに診てもらうことにした。医者は白髪の交じった穏やかな感じの人で、わたしは人前で食事ができないことでいかに自分が問題を抱えているかを話した。医者はわたしの言葉にうなずき、微笑み、こういった。あなたは胃腸が弱いのだ、と。どこも悪くはないが、弱いのだといった。胃腸はストレスを受けやすいから、気分や体調の些細な変化にも影響を受けて、吐いてしまったり、下痢をしやすくなってしまう。ただ、30歳くらいにくらいになると神経が鈍くなって物事をあれこれ考えなくなってくるから心配することはないといった。わたしは自分がこんなに苦しんでいるのに心配ないとはどういうことかと食い下がったが、まずは医者は自分の体質を受け入れましょうと穏やかな口調で話した。どうしても苦しいときのためにと、少量の精神安定剤を処方してくれた。

それからわたしは食べ物を残すことを恥ずかしいと思わなくなった。食べたいときは食べるし、食べられなくなったら残す。痩せているといわれてもあまり気にならなくなった。就職して生活が規則正しくなったこともあって、体調はだんだん良くなっていった。あのとき医者がいったように体重は30歳をこえたくらいから増え始めた。神経が鈍くなったかどうかはよくわからない。

わたしは自分のこどもにもっと食べろといったことは一度もない。もっと寝ろとかセックスしろとかいわれるのと同じで余計はお世話だ。そもそも今の人間は食べ過ぎなのだと思う。飢えた猫だって、おなかがいっぱいになれば食べ物を残して去っていく。残してほしくなければ量を減らせばいい。冒頭のニュースではこどもに強要することはなくて、クラスで協力しあうことで一体感を醸成しているらしい。それでも食べ物を残さないことが美徳であることを強いられるのはなぜなのだろうと思う。無理に食べるのは体に悪いし、たくさん食べられる生徒が優れているというのはよく意味がわからない。そういうゲームだと思えばいいのかもしれない。

今日は買っておいたうまい日本酒を飲みながらすき焼きを食べる。残さずに食べられるだろうかとか考えずに食べられることは本当に幸せだと思う。

年賀状の役割はfacebookに取って代わられている

紙を手に取ることがめっきり少なくなった。会社で紙を印刷する機会はほとんどない。社内のすべての情報は電子化されて共有されているので、紙の書類を目にすることはない。ときどき社外の営業の人などがわざわざ紙の書類を持参してくることがあるが、もらったらすぐに捨てることにしている。そもそも保管する場所がない。唯一印刷しないといけないのは経費の申請くらいだ。経理上の書類は紙で保管するよう、法律で決められているためらしい。偽装を防ぐためらしいが意味がわからない。コピー紙に印刷した書類を偽装する方法なんか今どきいくらでもある。ほとんど経理処理のためにプリンタを置いているようなものなので、それがなくなればプリンタは必要なくなる。

昔は仕様書やら議事録やらを紙に印刷して、ファイリングして保管しておくのが当たり前だった。今もそういう会社のほうが多いかもしれない。紙を印刷するにはコストがかかる。古い会社では書類は上司がいちいちチェックして、少しでもかすれや誤植があるとやり直しをさせられるらしい。こんな小さい字をおれに読ませるのかといってわざわざその人用に大きなフォントで印刷させられたというような話も聞く。ただの社内用の書類を保管するだけなのに、印刷コストだけでなく人件費もばかにならない。そういう風習は確実になくなっていくだろう。Webで見るならフォントやレイアウトを気にする必要はない。読む人が調整すればいいだけだからだ。ファイルやフォルダというものを実物で見る機会もなくなるかもしれない。最近はフロッピーディスクを見たことがないが増えているそうだ。だからこどもが学校でパソコンを使ったりすると、アプリケーションの「保存」ボタンに書かれているあの黒い四角はなんですかと聞かれたりするらしい。もはやフロッピーディスクはアイコンのモチーフとしてはふさわしくない。同じように、ファイルやフォルダのモチーフもそのうち意味が通じなくなるだろう。

家の中を見ても、契約書とか、保証書の類いのようにどうしても保管しておかないといけない紙もあるけど、それはしくみが追いついていないからで、本質的には電子化が可能なものだ。紙は場所を取るし、検索性も可搬性も低い。わたしはハードカバーの本は買わない。Kindle版があればそれを買うけど、なければ諦める。文庫本は買って読んだら捨てることにしている。本を保管するにはコストがかかるからだ。前にも書いたように、今は所有しないことで得られる利点のほうが大きい。

若いころは買った本はすべて家にため込んでいた。あるときそれらがなくなってもなにも困らないことに気がついた。だから本当に残しておきたいごく一部を除いて処分した。それから困ったことは一度もない。そんなだから、紙をもらうと、ごみをもらったなという気分になる。店で会計をしたときにくれるレシートとか、クーポンの類いがそうだ。そういうのはまだいりませんと断ることもできるけど、勝手に送りつけてくる新聞や広告やダイレクトメールなんかは始末が悪い。投函するだけで嫌でも目にはいるので広告として有効なのはわかるけど、毎日大量の広告が読まずに捨てられていることを考えると好ましいことではない。飛行機もわざわざ携帯でチェックインしているのに、ごみになる紙をくれるのはどうにかならないかといつも思う。せめて回収してくれればいいのだけど。

最近、ネットで年賀状の発行枚数が減少しているという記事を読んだ。

年賀葉書の発行枚数などをグラフ化してみる(2014年)(最新) - ガベージニュース

2003年をピークに下がり続けているのだそうだ。ということは2003年までは増加していたということでそれ自体意外な気がしたのだけど、これはパソコンが普及して手軽に写真付きの年賀状が作れるようになったり、企業努力によるものが大きいのではないかと思う。偶然かもしれないが、国内でソーシャルネットワーキングサービスの存在を最初に認知させたmixiがサービスを開始したのは2004年だった。

年賀状というものは、普段は連絡を取り合うことのない知人に対して、わたしは元気にやってますよとか、結婚しましたといった近況を報告したり、引っ越ししたときに連絡が絶えることがないように新しい住所を伝えたりするためのものだ。もちろん普段から頻繁にあっている上司や同僚や親戚に対して送ることもあるけど、儀礼的なものであってもらったからどうということはない。わたしは大学時代の友人や前の会社の同僚など、普段は連絡を取り合わない知人に対してのみ年賀状を送っていたのだけど、それも2年ほど前にきっぱりやめた。もらっても送り返さないことにした。考えたら、彼らとは全員facebookでつながっていて、わたしといつでも連絡が取ることができることはもちろん、お互いの近況まで逐一知っていたからだ。逆にいえば、facebookはかつて年賀状が担っていた役割を取って代わりつつある。こどもの写真をアップし、誰かの誕生日にお祝いのコメントを書き、結婚や出産の報告をする。プライベートで深刻な悩みをfacebookで告白するような人はあまりいない。親や上司が見ているかもしれない場所で愛を語り合ったりもできない。親密な友人同士のやりとりにはLINEやメッセージを使ったりするのだろう。facebookにとって面白いことかどうかはわからないけど、インフラになるということはそういうことだ。

最後にまったく矛盾することを書くけど、わたしは紙の本や手紙が好きだ。ページをめくる手触りが好きだし、誰かのことを思って心を込めて書かれた手書きの年賀状をもらってうれしくない人はいない。そういう質感とかまごころとかいったものは、紙に書かれた情報とは別の付加価値を生むものだ。紙は紀元前のパピルスの時代から、情報を伝えるためのものだった。その役割はもう十分果たしたといっていいと思う。