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年賀状の役割はfacebookに取って代わられている

紙を手に取ることがめっきり少なくなった。会社で紙を印刷する機会はほとんどない。社内のすべての情報は電子化されて共有されているので、紙の書類を目にすることはない。ときどき社外の営業の人などがわざわざ紙の書類を持参してくることがあるが、もらったらすぐに捨てることにしている。そもそも保管する場所がない。唯一印刷しないといけないのは経費の申請くらいだ。経理上の書類は紙で保管するよう、法律で決められているためらしい。偽装を防ぐためらしいが意味がわからない。コピー紙に印刷した書類を偽装する方法なんか今どきいくらでもある。ほとんど経理処理のためにプリンタを置いているようなものなので、それがなくなればプリンタは必要なくなる。

昔は仕様書やら議事録やらを紙に印刷して、ファイリングして保管しておくのが当たり前だった。今もそういう会社のほうが多いかもしれない。紙を印刷するにはコストがかかる。古い会社では書類は上司がいちいちチェックして、少しでもかすれや誤植があるとやり直しをさせられるらしい。こんな小さい字をおれに読ませるのかといってわざわざその人用に大きなフォントで印刷させられたというような話も聞く。ただの社内用の書類を保管するだけなのに、印刷コストだけでなく人件費もばかにならない。そういう風習は確実になくなっていくだろう。Webで見るならフォントやレイアウトを気にする必要はない。読む人が調整すればいいだけだからだ。ファイルやフォルダというものを実物で見る機会もなくなるかもしれない。最近はフロッピーディスクを見たことがないが増えているそうだ。だからこどもが学校でパソコンを使ったりすると、アプリケーションの「保存」ボタンに書かれているあの黒い四角はなんですかと聞かれたりするらしい。もはやフロッピーディスクはアイコンのモチーフとしてはふさわしくない。同じように、ファイルやフォルダのモチーフもそのうち意味が通じなくなるだろう。

家の中を見ても、契約書とか、保証書の類いのようにどうしても保管しておかないといけない紙もあるけど、それはしくみが追いついていないからで、本質的には電子化が可能なものだ。紙は場所を取るし、検索性も可搬性も低い。わたしはハードカバーの本は買わない。Kindle版があればそれを買うけど、なければ諦める。文庫本は買って読んだら捨てることにしている。本を保管するにはコストがかかるからだ。前にも書いたように、今は所有しないことで得られる利点のほうが大きい。

若いころは買った本はすべて家にため込んでいた。あるときそれらがなくなってもなにも困らないことに気がついた。だから本当に残しておきたいごく一部を除いて処分した。それから困ったことは一度もない。そんなだから、紙をもらうと、ごみをもらったなという気分になる。店で会計をしたときにくれるレシートとか、クーポンの類いがそうだ。そういうのはまだいりませんと断ることもできるけど、勝手に送りつけてくる新聞や広告やダイレクトメールなんかは始末が悪い。投函するだけで嫌でも目にはいるので広告として有効なのはわかるけど、毎日大量の広告が読まずに捨てられていることを考えると好ましいことではない。飛行機もわざわざ携帯でチェックインしているのに、ごみになる紙をくれるのはどうにかならないかといつも思う。せめて回収してくれればいいのだけど。

最近、ネットで年賀状の発行枚数が減少しているという記事を読んだ。

年賀葉書の発行枚数などをグラフ化してみる(2014年)(最新) - ガベージニュース

2003年をピークに下がり続けているのだそうだ。ということは2003年までは増加していたということでそれ自体意外な気がしたのだけど、これはパソコンが普及して手軽に写真付きの年賀状が作れるようになったり、企業努力によるものが大きいのではないかと思う。偶然かもしれないが、国内でソーシャルネットワーキングサービスの存在を最初に認知させたmixiがサービスを開始したのは2004年だった。

年賀状というものは、普段は連絡を取り合うことのない知人に対して、わたしは元気にやってますよとか、結婚しましたといった近況を報告したり、引っ越ししたときに連絡が絶えることがないように新しい住所を伝えたりするためのものだ。もちろん普段から頻繁にあっている上司や同僚や親戚に対して送ることもあるけど、儀礼的なものであってもらったからどうということはない。わたしは大学時代の友人や前の会社の同僚など、普段は連絡を取り合わない知人に対してのみ年賀状を送っていたのだけど、それも2年ほど前にきっぱりやめた。もらっても送り返さないことにした。考えたら、彼らとは全員facebookでつながっていて、わたしといつでも連絡が取ることができることはもちろん、お互いの近況まで逐一知っていたからだ。逆にいえば、facebookはかつて年賀状が担っていた役割を取って代わりつつある。こどもの写真をアップし、誰かの誕生日にお祝いのコメントを書き、結婚や出産の報告をする。プライベートで深刻な悩みをfacebookで告白するような人はあまりいない。親や上司が見ているかもしれない場所で愛を語り合ったりもできない。親密な友人同士のやりとりにはLINEやメッセージを使ったりするのだろう。facebookにとって面白いことかどうかはわからないけど、インフラになるということはそういうことだ。

最後にまったく矛盾することを書くけど、わたしは紙の本や手紙が好きだ。ページをめくる手触りが好きだし、誰かのことを思って心を込めて書かれた手書きの年賀状をもらってうれしくない人はいない。そういう質感とかまごころとかいったものは、紙に書かれた情報とは別の付加価値を生むものだ。紙は紀元前のパピルスの時代から、情報を伝えるためのものだった。その役割はもう十分果たしたといっていいと思う。

ミステリ好きなら「紙の月」は観たほうがいい

「紙の月」という映画を観た。原作は読んでいないが、かなり話題になった作品でNHKでドラマ化もされているらしい。最近ヨルタモリで宮沢りえを見る機会が増えて、すっかり大人の女優に変貌した宮沢りえが横領犯を演じるというので興味を持った。そういえば彼女の主演作は「スワンの涙」くらいしか見たことがない。

映画のあらすじは、前もって聞いていた。派遣社員として銀行に勤める主人公が、男に溺れて会社の金を横領するようになり、身を滅ぼしていくというものだ。これだけを聞くと、ありきたりなストーリーといった印象をぬぐえない。そして映画を見終わったあとも、ストーリーの展開が大きく裏切られることはなかった。つまり最初からおわりまで、物語の顛末はある程度「見えて」いる。それなのにこの映画が観客を飽きさせないのは、主人公を取り巻く、まわりの登場人物の存在が際立っているからだ。銀行員という仕事に忠実で不正を許さまいとする先輩社員、自分の願望のままに生きる奔放で抜け目のない同僚、資産はあるがそれぞれに悩みを抱える銀行の顧客たち。特に小林聡美と大島優子、石橋蓮司の演技が素晴らしい。それぞれの利害が組み合わさって、主人公を破滅に導くドラマが生み出される様子は、群像劇を見ているような錯覚を覚える。

ただ、わたしは最初、主人公が男と深い関係になって横領に手を染める動機が、どうしても共感できなかった。事前に夫とのすれ違いといった背景は描かれているものの、あまりにも唐突な気がしたからだ。

物語というものは、基本的に登場人物がなにかを「求める」ことで進行するものだ。登場人物がなにも求めなければ、物語として成立しない。動物は食欲や睡眠のような生きるために必要な欲求しか求めないので、動物を登場人物とした物語というものは成立しない。わたしは若いころ推理小説ばかり読んでいたので、物語を面白くするのは謎とトリックだと信じていた。大学生のときに初めて書いた小説を賞に応募したら、受賞はできなかったが雑誌に名前が掲載されて、アイデアは面白いが話が恣意的すぎるというコメントが添えられてあった。そこで初めて、物語には登場人物の「求めるもの」を動機づけることが必要なのだということを知った。大脱走のスティーヴ・マックィーンは収容所から脱出することを求めるし、インディー・ジョーンズのハリソン・フォードは古代遺跡を発見することを求める。主人公だけでなく、脇役たちもなにかを求めている。だから利害が衝突し、ドラマが生まれる。「求めるもの」のパターンは金、愛憎、復讐、友情、健康、名声、幸福、家族、正義、仕事など無数にあるが、見ている人が共感できるものでなくてはならないのがルールだ。主人公の動機が曖昧なまま物語が進行すると、見ている人は置いてけぼりをくらったような気分になる。今回も途中までそういう思いで見ていた。まわりの登場人物は「求めるもの」が明確なのに、惜しいな、と。それでも宮沢りえの清楚なたたずまいを保ちながら不正に手を染める危うい演技は見事だし、恋人役のMOZUの人も主人公を堕落させるに十分なだらしなさと純粋さを醸しだしている。だから主人公の動機に共感できないことはしこりとしては残ったものの、致命的に気になるほどではなかった。しかしそのしこりのようなものも、最後の20分で大きく打ち砕かれることになる。

主人公の「求めるもの」が明らかになったとき、それが金でも単純な愛欲でもなかったことがわかる。同時に金持ちの顧客が身につけていた偽物のアクセサリーや冒頭のシーンの伏線も回収される。これはもう鮮やかな手口というしかない。そして主人公はすべての顛末が最初からわかっていた映画の最後になって初めて、意外な行動を取る。このときになって、観客は「見えて」いた物語の顛末が、本当は「見せられて」いたということに気づく。

エンディングの余韻を残したまま、エンドロールにはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「Femme Fatale」が流れていた。タイトルを直訳すると「宿命の女」。こんなにこの映画にふさわしい曲はない。よく曲を使う許可が取れたものだと思う。ルー・リードの気怠い歌声を聴きながら、久しぶりにいい日本映画を見たなと思った。

『紙の月』絶賛公開中!

HuluとWOWOWと地上波テレビの違い

ちきりんさんのブログを見て思ったこと。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20141115

Chikirinの日記

先日、WOWOWを契約した。去年までテレビを見ることはほとんどなかったのだけど、Huluでブレイキングバッドにはまっていたあたりからテレビの面白さを再発見したからだ。テレビの面白さというか、つまり週1で通っていたTSUTAYAに行かなくてもいいということに気づいたということだ。地上波放送をほとんど見ていないのはあまり変わらない。

今、うちのリビングでソファから1ミリも移動せずにテレビに映像を映す手段は4つある。

  • 地上波もしくはBSの放送を観る
  • WOWOWを観る
  • Huluを観る
  • iTunesでコンテンツを購入して映画やライブを観る

うちのテレビにはパナソニック製のハードディスクレコーダーとアップルTVとが接続されていて、HuluとWOWOWに契約している。ランニングコストは合わせて3280円。安くはないが毎週TSUTAYAで1000円使うよりは安い。昔はPRIDEを観るためにスカパーを契約していたけどコンテンツの質が低すぎて観るものがなくて解約した。

Huluはいつでも好きなコンテンツを定額で観られるというところに利点がある。連続もののドラマなどはいちいち放送を待っていられない。62話もあるブレイキングバッドはHuluじゃなかったらきっと観なかっただろうと思う。こどもがぐずったらいつでも妖怪ウォッチの好きな回を見せることができるし、ちょっと時間が空いたときに古い映画を楽しむこともできる。最新の映画はHuluにないことが多いので、iTunesはで補完することができる。わたしはどうしても観たい映画は映画館で観るので、利用する頻度は少ない。

WOWOWは地上波と同じブロードキャストだけど、コンテンツの方向性が違う。最近、テニスの全米オープンで錦織選手が素晴らしい活躍をしたために、WOWOWの加入者数が激増したというニュースを聞いた。WOWOWはWOWOWでしか観られないコンテンツを提供するということに強みがある。日本で総合格闘技のUFCやサッカーのリーガ・エスパニョーラや宝塚をどうしても観たい人々が、WOWOWに加入する。だけどUFCとリーガ・エスパニョーラと宝塚すべてに興味がある人はあまりいない。そういう意味では、WOWOWはHuluやiTunesと同じように、興味がある人に興味があるコンテンツを売っているといえる。オンデマンドかブロードキャストかの違いはあるけど、ハードディスクレコーダーがあればその差はそれほど気にならなかったりする。あらかじめ、番組表から1週間分まとめて興味のある番組を録画予約しておけばよいからだ。もちろん、スポーツ中継などはブロードキャストならではの利点を活かすこともできる。

地上波放送というものは、オンデマンドではなく、コンテンツ売りでもない。基本的に、なるべく多くの人が興味を持ちそうな番組を、ブロードキャストで流すという性質のものだ。どの番組にも司会者がいて、毎週決まった時間に放送される。昔のラジオの延長といっていい。だから単一の作品や試合ではなく、番組という連続性のある形態である必要がある。だからテレビ局はスポーツの中継にわざわざスポーツ番組の冠をつけて、連続性を持たせている。そうでないと視聴者が混乱するからだ。スポンサーの都合もあるのかもしれない。地上波放送にとっては、決まった時間に最大公約数の視聴者をターゲットとした番組がブロードキャストされているという点が唯一の強みといえる。WOWOWならどんな時間にUFCをやっていても観たい人は観るが、地上波ではそうではない。笑っていいともはお昼にやっていないといけないし、サザエさんは日曜の夕方にやっていないといけない。サザエさんをわざわざ録画して観る人はほとんどいない。

わたしはテレビのフォーマットをどうこうしようとかいう議論は、雑誌や新聞が今後生き残っていくにはという話と同じくらいどうでもいい。国民の40%が同じ番組を観ていたということが異常なのであって、そんな時代はもう来ない。バグルスはMTVのオープニングでVideo kills the radio starと歌った。そのMTVを殺したのはナップスターやYoutubeかもしれない。それでもテレビを観る人は今もいるし、ニュースやワイドショーやバラエティみたいにマス向けにブロードキャストの強みを活かした番組のニーズがなくなるわけではない。ただそういうものはどんどんつまらなくなるだろう。ヨルタモリは素晴らしいがあれはマス向けという気がしない。それよりも、質の高いコンテンツを観るための選択肢が増えたことは単純に良いことだと思う。

自由の国と中国

先週は上海にいた。上海には前にも書いたように、延べで1年間くらい滞在していたことがある。3年前の話で、そのときのレートは1元が12円だった。今は、今日のレートで18.7円だ。これに、年間10%ずつ物価が上昇しているから、日本人からすると中国でものを買う値段は倍になったといっていい。駐在している方々も、家賃が2年で倍になったと嘆いていた。

わたしは以前、上海に来たときはよくマッサージを利用していた。だいたい1時間で1500円くらいだったから、割安感があった。ただしクォリティはあまり期待できなくて、テレビを見ているおばちゃんにただ体を押されているという感じのことも多い。今は倍の値段だ。3000円払うなら、日本でも同じ値段でずっといいサービスが受けられるので、今回わざわざ行く気にはならなかった。同じ理由で、上海でカラオケに行くことももうないだろうと思う。中国でいうカラオケとは日本のキャバクラみたいなもので、女の子が横について好きなだけカラオケを歌える店のことだ。KTV(カラオケTV)というよくわからない略称で呼ばれることもある。カラオケにいくと必ずボトルを入れないといけなくて、それが1000元くらいする。今はもっと高いのかもしれない。それとは別に女の子のチップとテーブルチャージがあって、今だとひとりで行くと3万くらい取られることになる。さすがにサラリーマンが気軽に飲みにいって払える値段ではない。わたしが滞在していたころはカラオケ店は日本人客で溢れていたが、今はめっきり客足が減っていて、店側も中国の富裕層相手にシフトしているのだそうだ。行き帰りの飛行機でも以前はあれほどいた日本人のビジネスマンを見かけることが少なくなった。大半が中国人のビジネスマンと家族連れだ。中国の富裕層が増え、マーケットが拡大している一方、人件費の安さをあてにしたオフショアはもう厳しいという印象がある。

日本に戻ってくると、煙草のにおいがとても気になることを前から不思議に思っていた。海外ではいろんな嗅ぎ慣れない匂いが入り乱れているので鼻が麻痺しているのかもしれないが、多少異臭がしてもなにも感じない。日本だと、近くで煙草の匂いがするとすぐに分かる。ちなみにわたしは喫煙者だ。いつからこんなふうになったのだろうと思う。20年前はそうではなかった気がする。どこでも平気で煙草が吸えたので、逆に煙草の匂いはあまり気にならなかった。高校生のときは教室や部室で煙草を吸っても誰にも気づかれたりしなかった。今だったら一瞬でわかるだろう。中国ではトイレットペーパーを便器に流すことができないので、使ったものは近くのごみ箱に入れないといけない。トイレが詰まることもざらにあって、高級レストランのトイレが汚物で溢れているような光景も日常的にある。抵抗はあるが慣れればまあなんとかなる。現代の日本では不衛生なものは徹底的に隠されている気がする。前に見たテレビの番組で、潔癖症の人が出ていて、家に帰ったら財布に入っている紙幣の一枚一枚まで洗わないと気が済まないのだといっていた。あまり幸せそうではなかった。上海に駐在している同僚に、中国のいいところはどこかと尋ねたら、自由なところだと答えた。インターネットが検閲される国に自由があるといわれると違和感を持つかもしれないが、わたしは共感できた。中国ではまわりの人の目を気にして生活する必要はないし、いちいち細かいことに承認を得る必要もない。未成熟で人間が平等でないことを前提とした社会には、ある種の自由がある。

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ベッドの下の男

床下にいる男の小説を書くと宣言してから、ずいぶん時間がたってしまった。放置していたわけではなくて、ちゃんと考えていた。考えていたけど、書けなかった。最初は床下にいる男の話を1週間で20ページくらい書いてブログかなにかに公開するつもりだったけど、話がまったくまとまらなかった。結局60ページ書くのに半年もかかったしまった。そしていざKDPで公開しようと思ったら、Amazonでは無料本を公開することはできないということがわかった。そんなわけで、最低価格の99円で販売することにした。無料を期待してくれていた方がもしいたら申し訳ないので、明日から5日間無料キャンペーンを実施するとともに、一部をこのブログで公開させていただく。

なぜ書けなかったかというと、真下に男がいたら面白いなというただそれだけの着想から始まったのだけど、ブログに書いてしまったせいでその制約に縛られてしまったからだ。わたしは約束は守らないと気持ちが悪い性格だ。なんども別の話を考えよう思ったのだけど、どうしてもこれを書かないと気が済まなくなった。わたしは基本的にオカルトが苦手だ。ホラーとか奇譚といったものは大好きなのだけど、話が超常現象で片付けられると、とたんに興ざめする。最初は、少女を主人公にするつもりだった。なぜかいつも寝ているときに床下に男がいて会話をするという設定だった。それだとどうしても男はこの世のものではないことになってしまう。なんとか男が床下にいる理由をこじつけようとしたのだけど、無理だった。コンクリートの中に潜り込める人間はいない。諦めかけていたら、男の主人公にしたらどうかという着想が浮かんだ。そこから構想がまとまるのはわりと早かった。海外出張とか書く時間が取れなかったこともあり、意外と時間がかかったけど、いい具合に不条理でチープで愉快な作品ができたと思う。

これでようやく次のことに取りかかれる。

ベッドの下の男

ベッドの下の男

ベッドの下の男

 東雲さん、と声をかけてきた若い男は、ここいいっすか、といって、返事もまたず隣のスツールにまたがった。わたしは思わず時計を見た。九時二〇分。約束の時間にはずいぶん早い。奇遇ですね、よく来るんですかこの店。ダークスーツにノーネクタイ。顔が小さくてたまごのように白い。よく見るとフランク・ミュラーの腕時計をしている。わたしは反応に迷った。わたしは他人の顔を覚えるのが極端に苦手だ。仕事で関わったクライアントの顔もほとんど覚えていない。赤ん坊のころからおしめを替えてくれたり歌を歌ってくれたりしてわたしが十一歳になるまで家にいた家政婦の顔を覚えていなかったこともある。若い男は、僕のこと知らないっすか? と眉をしかめた。

「知らないな」わたしはスコッチのグラスを傾けた。アイラモルト特有の、ピートの香りが鼻を刺激する。

「丸子っす」話を聞くに、彼はうちの会社の営業に配属された新人らしかった。わたしは都内の広告代理店に勤めている。毎年何十人も入ってくる新人の顔など覚えているはずがない。

「こんなところで会えてうれしいなあ。ぼく東雲さんのファンなんですよね。うちのエースじゃないですか。こないだの地下鉄のラッピング広告、すごかったです。あのコピー、東雲さんが考えたんですよね。『放課後はジャーニーしよう!』ってやつ」丸子は旅行会社とのタイアップで最近デビューしたアイドル歌手のキャッチコピーを唱えた。うちで手がけたものだが、わたしが考えたものではないし、出来も最悪だ。

「めんどうくさいな」

「は?」

「きみは、ひとり?」

「そうっす」いや、いままで合コンだったんですけど、つまんなくて抜けてきちゃったんすよね。よかったらおれの代わりにいきます? 残念なのしかいませんけど。丸子はそう続けた。

「おれに、居酒屋にいって不細工な女に手拍子されながらゲロみたいにまずいチューハイを一気のみしろといってるのか」

「いや、そこまでは」

「遠慮する。約束があるんでね」わたしはもう一度、腕時計を見た。会話を切りあげたつもりだった。いまさら若いやつらの合コンにいって得るものはない。

 丸子は動かなかった。口元に笑みを浮かべたまま、こちらを覗きこむ。

「東雲さん、こんな話、知ってます?」

 不躾な男だ。わたしは怪訝さを隠さなかった。

「ある女の子がね、春から大学に入学したんです。それまで徳島だかの実家で暮らしてたんですけど、上京して、ひとり暮らしを始めたわけです。もうだいぶ東京の暮らしにも慣れてきまして、それでもまだ渋谷はハチ公口から出ないとわかんないみたいな」

「なんの話をしているんだ」

「ある日、大学の友達がマンションに遊びに来たんすよ。ビールとか飲んでみたりして、夜もふけてきたもんだから、自分はベッドに寝て、友達は床に布団を敷いて寝てもらうことにしたんですね。ほら、自分のベッドってあんま他人に使わせたくないじゃないですか」

「それはわかるな」

「電気を消そうとしたら、友達がとつぜんコンビニに行きたいっていうんですね。これからもう寝るっていうのに、どうしてもシーマヨのおにぎりが食べたいからいっしょに来てくれって。女の子はもう眠いから寝ようっていうんだけど、あんまりしつこいから、服を着て外にでたんです。コンビニに向かうのかと思ったら、コンビニとは反対の道を歩いていって、どこいくのって訊いたら、友達が交番の前で立ちどまって、こういったんです」

 丸子はそこで間をおいた。

「ベッドの下に包丁を持った男がいて、こっちを向いて笑ってたって」

「なるほど」わたしはスコッチを舐めた。

「怖くありません?」

「べつに。よくある都市伝説だな。そろそろよそへ行ってくれないか」わたしは苛立った。

「東雲さんて、そのベッドの男のイメージにガチではまるんすよねえ。なんか渋いし。あ、気を悪くしないでくださいね。おれ実は、趣味で友達といっしょに動画の撮影をやってて、なんていうのかな、ハプニング映像っていうか、そういうちょっと怖い話が実際に起きてるとこを撮影して、動画をユーチューブにあげるんすよ。これがけっこうネットで評判よくって、こないだなんか病院の駐車場で、血まみれの外科医が一般人を追いかけるっていう動画を撮ったら、ものすごいアクセスでびびりましたよ」

 丸子はこれなんですけど、といってスマホを取り出すと、アプリを立ち上げて動画を再生した。薄暗い通路をサラリーマン風の男が歩いている。遠くから隠し撮りした映像のようだ。男の脇にバンが停まり、中から青い手術着を着てマスクをした別の男が現れる。手術着の男がアップになる。胸のあたりには黒っぽい染みがべったりと付着している。先端にドリルのような尖ったものが取り付けられたT字型の器具を手に持っている。明らかに不審な人物に気づいたサラリーマン風の男は身構えるように体を硬直させ、様子をうかがっている。視線をバンに向けた瞬間、手術着の男が地面を蹴って走り出した。サラリーマン風の男はなにかを叫んで体を反転させ、必死の形相で逃げようとする。手術着の男がドリルを持った手を振りあげて追いかける。映像はズームアウトして、そこで終了した。

「悪趣味だ。追いかけた人は怒らなかったのか」

「ものすごい怒りましたよ。三時間も土下座してやっと許してもらいました」

【「ベッドの下の男」より抜粋】

仕事を奪うのは機械やロボットじゃない

Googleのエリック・シュミット会長が執筆した「How Google Works」をkindleで読んでいる。本の内容をまとめたスライドがGigazineでも紹介されている。

この本では、今起こっている競争条件の変化として、以下を挙げている。

  • インターネットから膨大な情報を無料で入手できるようになった。
  • モバイルデバイスでの常時接続が実現した。
  • クラウドコンピューティングによって、高度なサービスを安価に受けられるようになった。

そんな変化はインターネットが普及し始めた20年前から起こっていると思われるかもしれないが、それは違う。かつてAmazonが書店を追いやったというような文脈とは明らかに違うドラスティックな変化が今起こっている。アメリカの主要都市では、タクシーを拾う代わりにスマホでUberを呼ぶ。運転手のプロフィールや写真が表示され、車が今どこにいるか、あと何分でやってくるか地図でいつでも確認できる。料金はUberのアカウントを使って自動的に引き落とされ、クーポンも使える。日本ではまだ六本木周辺でしか利用できず料金も安くないが、サービスが拡大されれば、わざわざタクシーを探して歩きまわったりしなくてもよくなる。これは今この瞬間に起きている変化だ。

先日、サンフランシスコでいくつかのシリコンバレー企業のオフィスを訪問した。よくいわれているように昼食が無料などというのは当たり前で、自転車の整備室やシャワールーム、ヨガルーム、瞑想をするための専用の部屋まである企業もあった。ペットやこどもを連れてくるのも自由だし、出退勤の時間も自由だ。

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これらを見て、さすがアメリカはスケールが違うとか、こんなところで働いてみたいと思ったりするのだけど、ふと費用対効果を考えたときに、果たしてヨガルームが生産性を高めたりするのだろうかという疑問が浮かぶ。そして、その答えは「How Google Works」を読むと腹に落ちる気がする。彼らは社員の福利厚生を充実させたいためにこんなことをやっているのではなく、超優秀な人材を雇うため、彼らに企業文化を示すために大金を使っている。サンフランシスコではエンジニアの賃金はおそろしく高い。地価もニューヨークよりも高くて、1LDKで平均して35万くらいするそうだ。普通にウエイトレスのような仕事をしていたのではとても生活していけない。シリコンバレーで会ったイケメンのエンジニアは、オタクが女の子を町から追い出したのだと嘆いていた。

国内に目を向けてみると、こんな記事があった。

2020年「なくなる仕事」

知ってましたか これが2020年のニッポンだ - わずか7年後、この国はこんなに変わる あなたの会社は消えているかもしれない「生き残る会社」と「なくなる仕事」教えます | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]

この記事は、多くの仕事が機械やロボットに取って代わられると予想している。5年後にはアウトソーシングやコモデティ化によってプログラマーの仕事はなくなるのだという。機械やロボットによって人間の仕事が奪われると書かれている。おめでたい話だと思う。こういった記事は、いまだに大企業主導のグローバル化やオートメーション化、合理化によって、特に若い人たちの仕事が失われるというような印象を与える。

若い人たちにとって、単純作業や肉体労働は旧体制のオートメーション化によってとっくに奪われている。これから奪われるのは、参入障壁の高い既得権益に守られた産業、それから自ら価値を生み出さずに中間マージンを取るだけの不動産やディストリビューターのような仕事で、奪うのは小さなチームからなる若くて優秀な起業家やエンジニアたちだ。

そういう未来が早くくればいいと願っている。

How Google Works (ハウ・グーグル・ワークス)  ―私たちの働き方とマネジメント

How Google Works (ハウ・グーグル・ワークス) ―私たちの働き方とマネジメント

  • 作者: エリック・シュミット,ジョナサン・ローゼンバーグ,アラン・イーグル,ラリー・ペイジ,土方奈美
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2014/10/09
  • メディア: 単行本
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サンフランシスコでDreamforceに参加した

今は朝の4時50分。6日目だけど結局時差ボケは直らなかったので、もうこのまま日本に帰ることにする。

今回サンフランシスコに来た目的は、Dreamforceに参加するためだった。Dreamforceというのは、セールスフォース・ドットコムというシリコンバレーのIT企業が年に一度主催するカンファレンスで、この1企業のイベントのために公道が1週間封鎖される。Dreamforce期間中はいたるところで交通渋滞が起き、サンフランシスコのダウンタウンが水色のリュックを背負った人々であふれ返ることになる。

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基調講演で登場したのは、ヒラリー・クリントン、アル・ゴア、ウイル・アイアム、ニール・ヤング、サンフランシスコ市長など超大物ばかり。X JapanのYoshikiも来ていて、ピアノを弾いていた。当然ほとんどの客はYoshikiのことを知らなくて、わたしのうしろにいた客から、彼は日本で有名な男なのかと尋ねられた。なぜ登場したのかはまったく不明。

ツイートしたマーク・ベニオフはセールスフォース・ドットコム社の社長。

これとは別に毎年単独アーティストのコンサートも開催されていて、ことしはブルーノ・マーズだった。去年はグリーン・デイで、一昨年はレッチリだった。 このコンサートにはイベントのパスを持っていれば無料で見られることになっている。それから会場で配られる食べ物も無料。レセプションでのビールも飲み放題で至れり尽くせりだが、イベントのチケットは$1000くらいするのでまあそれくらいは当たり前か、という感じ。

とここまで書くとどんなIT企業なのかと思われるかもしれないけど、セールスフォース・ドットコムというのはその名のとおり、企業向けの営業支援ソフトを作っている会社で、それだけ聞くとものすごく地味で硬い会社に感じると思う。日本でそういう企業のイベントをやるとするともう確実にくたびれたおじさんしか来ないもんだけど、もうそのへんの感覚は桁外れに違っている。営業支援ソフトを作っている会社が1週間公道を封鎖してニール・ヤングとYoshikiを呼んでむちゃくちゃ人が集まるとかって、ほんと意味がわからない。そういう非日常的な一週間を過ごしていた。頭がぼんやりしているのは時差ボケのせいではないと思う。

最終日はシリコンバレーの日本人エンジニアが集まるパーティに参加した。レイオフなどは日常茶飯事で、話した多くの方は会社にビザを発行してもらっているので首を切られると帰国するしかないらしい。 話した若い方は、スタートアップでMusic deviceのアセンブリをやっていて、工場のラインに乗せるまでに手で1000個手で作らないといけないのだといっていた。それでも一様に生き生きしていて、生命力がみなぎっている感じがした。

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