読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

能力を身につけるということ

 巷でアドベントカレンダーが流行っているみたいなので、自分もなにか書いてみることにしました。ぜんぜんアドベントにならない可能性大です。

 昔、日本に聖徳太子という人がいて、10人の話を同時に聞き分けたといわれています。現代では、人間が複数の事柄を「同時に」意識するのは不可能ということがわかっています。

 人は同時にひとつのことしか意識して行なうことができません。英単語と数学の公式を同時に覚えることはできませんし、彼氏からもらったメールを読みながら、別の彼氏にメールを書くこともできません。当たり前のようですが、考えてみると面白いことに気づきます。

 わたしは今、キーボードを打ちながら文章を書いています。キーを「打つ」という行動と、文章を「考える」という行動を同時に行なうことができます。歩きながら友達と話をすることもできますし、食べながら本を読むこともできます。ムーンウォークをしながらビリージーンを歌う人もいました。

 同時に複数のことはできないといっておいてなんじゃそれ、なのですが、人は、反復的な訓練によって身につけた肉体的な行動については、知的な行動と同時にできるということがわかっています。これを自動化といいます。訓練によって無意識的に歩いたり、食べたり、自転車に乗ることができるようになったということです。それでも、食べながら他のことに集中していると、何を食べたかよくわからないことになります。あくまでも、一度に意識してできることはひとつだけです。そのへんのことは、かつてアップルにいたジェフ・ラスキンという人がヒューメイン・インターフェイスという本で詳しく書いています。

ヒューメイン・インタフェース―人に優しいシステムへの新たな指針

ヒューメイン・インタフェース―人に優しいシステムへの新たな指針

使いやすいということ

 わたしは普段ソフトウェアを作っています。ソフトウェアはなんのために使うかというと、メールを送りたいとか、おじいさんに子どもの写真を見せたいとか、絵が書きたいとか、それぞれ目的があって使うわけです。ぶっちゃけその目的が達成できれば、手段はなんでもよいのです。意識を集中したいのはメールの内容だったり、子どもの写真だったり、書きたい絵だったりします。ところがかんたんにはそうさせてくれません。ソフトウェアを使えるようになるところから始まって、使い方を覚えないといけないからです。何度も操作しているうちに、体が使い方を覚えてきます。無意識的に操作できるほど熟練してくると、ようやくソフトウェアそのものではなくて、書きたい絵に集中することができます。それでもときおりよくわからないダイアログが表示されて、意識が中断されたりします。そういうときは非常にストレスを感じます。わたしはいまだにiOSの文字入力を無意識で行なうことができません。なのでスマートフォンで文章を書くのはつらい作業です。

 道具の理想的なすがたは、意識を本来の作業に向けさせて、操作は無意識的に自動化させることができることだと思います。一般的には、何も知らないでそれを使ったときでも迷わずに使え、習熟するに従ってより肉体的な自動化が進み、意識しなくても使えるようになる、というのが使いやすい道具とされています。道具を無意識的に使えるようになったということは、その道具を使う能力を身につけたといえます。なぜなら、無意識的に使えるようになって初めて、道具を使って生産性のある作業に意識を集中できるからです。世の中には、どれだけ使っても体が自動化できないような道具もあります。

マルチタスクな職業

 ここまで、複数の動作を意識して同時に行なうことはできないということを書きました。そう考えると、映画に出てくる俳優さんというのはものすごいものだなと思います。自然に動きながらセリフをしゃべるというのは相当な訓練が必要なはずです。登場人物らしい動作が自動化されていないと、不自然な動きになってしまうからです。

 人間が意識して複数のことを行なうことができないということを知っておくと、役にたつことがあります。たとえば習い事などを上達したければ、とにかく反復して肉体的に自動化させるしかないということがわかるということです。英語の文法を意識しているうちは、思っていることに集中して話すことができません。ギターのコードを無意識に押さえられないうちは、弾きながら歌うことはできません。基本的な動作をすべて無意識的にできるように初めて、意識を本質的な表現や思考に置くことができるということです。

 昔の人はこのことを、習うより慣れろ、といったりしたとかしないとか。