読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

オーヴォとガチャ男

 オーヴォを観に行った。シルク・ドゥ・ソレイユを見たのは2回目だ。前に見たのは大学生のときにあったアレグリアだから、もう20年も前になる。今回は息子とふたりで観に行った。わたしたちは離れて暮らしているので、いっしょに外出するのは半年ぶりだ。息子の日程の都合で、観られるのはこの日しかなかったが、なんとかチケットを予約することができた。

 お台場は人でごったがえしていた。この時期、東京は新しい生活を始める学生やら社会人やらで人が集まってくるのだろう。彼らがまず目指すのは、お台場とスカイツリーだ。そういうわけで、会場周辺もたいへんな人で賑わっていた。わたしたちは早めについて、開場を待っていた。座席に案内されたのは開演の30分前だった。うしろのほうの席ではあったけど、会場のテントはそれほど大きくなかったから、それなりに見れそうだなと安心した。まだ座席についている客はまばらだった。

 開演の少し前に、声が聞こえた。

「おいババア目がわりいのにこんなとこで見えんのかよ」

 そういいながら、若いカップルが入ってきて、息子の前の席に腰をおろした。続いてその男性の母親と思われる女性も隣に座った。カップルは席につくや狭い席で肩を組んで、男はなんか周りを見まわしたり、彼女といちゃいちゃしたり、写真撮影はお控えくださいというアナウンスに誰もとってねえだろうがとか悪態をついたりしていた。彼女のうしろにまわした手はすぐわたしの目の前だ。映画なんかだとすぐに殺されるカップルの見本のような感じだった。なんか終始ガチャガチャしていたので、わたしは男のほうをガチャ男と名付けた。彼は髪にワックスかなんかを塗って逆立てていたので、見えないといけないと思ってわたしは息子と席を交換した。でやっぱりわたしは前が見えなかった。

 シルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマンスはすばらしかったのだけど、わたしはガチャ男が気になって鑑賞に集中できない。息子は見えるんだろうかとか考えると余計集中できなくなってきた。断っておくけど、誰にも落ち度はない。観客は公演中にガチャガチャしてはいけないという決まりはないし、髪にワックスを塗って逆立ててはいけないともどこにも書かれていない。わたしはうしろのほうの席だとわかっていてそのチケットを買ったのだし、その日を選んだのも自分だ。

 わたしは演技そっちのけで目の前の3人を見ながら考えた。変な話、オーヴォのチケット代は決して安いものではない。彼らはちょっと浮いていた。会話を聞いて、彼らには訛りがあるようだった。たぶん母親は東京に住む息子のために地方からやってきたのだろう。そしてチケット代は自分が出すから、あんたの彼女も連れて観に行きましょうと提案したに違いない。なんだよババアそんなのみてわかんのかよ。しょうがねえな、おれが連れてってやるよ。ガチャ男は母親に頼もしいところを見せるためにそんなことを言ったかもしれない。母親はとても楽しそうに、繰り出される演技に惜しみない拍手を贈っていた。悪いのはガチャ男ではない。わたしがこう思うのを許してほしい。あなたが息子をこんなところに連れてきたりしなかったら、わたしと息子の思い出は何割増しか楽しいものになっていたのです。でも同じ離れた場所に息子を持つ親として、今回は大目にみることにします。そう、心の中でいった。ただ、あんたの息子はガチャガチャしすぎることをお願いだから、今後は考えてみてほしい。

 オーヴォの感想はまったく書いてないけど、見応えのあるものだった。3人もきっと満足して帰ったことだろう。なぜなら、演技には興味がなさそうだったガチャ男も、エンディングでは曲に合わせて手拍子を打っていたくらいだから。

 帰りながら、息子が母親のことをババアとかいうようになったら、高いチケット代を出してどこかに連れていってもらうことだけはやめようと誓った。