新社会人ときに欲しかったのはアドバイスじゃなかった

Twitterのハッシュタグで、「#新社会人へのアドバイス」というのがあったので、わたしもこんなのをツイートしてみた。

これはこれで、正しいと思う。同じように先輩をニックネームで呼んでもいけない。会社の一員になったからといって、安心してはいけない。会社には若い人には道を示してやるべきと息巻いている人がいて、そういう人が社会での礼儀とか作法についてあれこれ指南してくるかもしれない。つまりわたしのような人間のことだ。そういう人間が、当の新社会人には迷惑でしかないこのハッシュタグを思いついたのだろう。

思い返してみると、わたしは18年前に社会人になったばかりのとき、アドバイスなんか求めてなかった。というか、社会人になりたくなかった。会社というもののイメージとしては、朝っぱらから朝礼で社訓を読まされるとか、頭の悪いおっさんに命令されるとか、毎日スーツを着ないといけないとかそういうものだった。わたしはスーツが着たくなくて、クリエイティブな仕事がしたいとか馬鹿みたいな抽象的な理想だけを持っていて、東京で生活をするためだけに池袋にある30人くらいのソフトウェアの会社に就職をした。小説を書きたかったが標準語がわからなかったから、とにかく東京にいくことにしたのだ。その会社を選んだのは、面接のとき福岡からの交通費を半分だしてくれたからだ。仕事に対する意気込みみたいなものはゼロだった。

最初に与えられた仕事は、Accessというソフトでかんたんなプログラムを書くことだった。10日くらいで作って上司にこれいくらで売るんですかときいたら100万だと答えた。仕事というのはなんてぼろいものだろうと思ったが、難しいのはプログラムを書くことではなくてお客を見つけてくることだということに気づいてはいなかった。

わたしは会社というものに明確な一線をおいて生活をしていた。それでも当時いたのは小さく、名も知られていなかったがわたしにとってはいい会社で、社訓を読まされることもなかったし、おっさんにいびられることもなかった。2年目のときに勝手にスーツを着るのをやめて、私服で出勤していたが咎められたりはしなかった。4年目のときに結婚して子どもが産まれて、奥さんが具合が悪くなったので松山の実家に帰るといったら、社長が家で仕事をしてもいいからそのまま続けたらどうかというので、けっきょくその後の6年間、子育てをしながら松山で仕事をすることになった。不安はあったが、朝から一日中プログラムを書いて、夕方からは息子の世話をすることができた。子どもをあやしながら仕事をしたこともあった。もちろんスーツは着なくてよかった。親族はお前の会社は小さいし誰も知らないとか、仕事がないなら地元で世話をしてやるとかいわれることはざらにあったが、すべて無視した。勝手に作ったプログラムを東京の上司に見せたら気に入ってくれて、半年間それだけを作っていいことになった。

そのあと、某社が松山に開発拠点をつくるというニュースをネットで見つけた。そのときの条件は、松山に住めて、プログラムが書けて、拠点を立ち上げたことがあるというものだった。最後のは少し怪しかったが、応募したらあっさり合格して、開発拠点の責任者として働くことになった。たぶんそんな人は誰もいなかったのだろう。前の会社には都合10年働かせてもらって、とても感謝している。社長とは今でもときどき会ったりする。新しい会社でも拠点を立ち上げたり海外にいったりなんやかんやあって、今はまた東京で働いている。ときどき採用の手伝いをすることがあるけど、18年前の自分をわたしは採用しないと思う。中途でも厳しいかもしれない。自分はやってきたこととタイミングとがあって、今の場所にいるだけだ。わたしは、スティーブ・ジョブズの点と点がつながるという話が好きだ。


スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版 - YouTube

繰り返しますが、先を読んで点と点をつなぐことはできません。後からふり返って初めてできるわけです。したがってあなた方は、点と点が将来どこかでつながると信じなければなりません。自分の勇気、運命、人生、カルマ、何でもいいから、信じなくてはなりません。点がやがてつながると信じることで、たとえそれが皆の通る道からはずれても、自分の心に従う自信が生まれます。これが大きなちがいをもたらしてくれるのです。

今でもスーツは着なくていいし、口に出すのは恥ずかしいけど若いころに思っていたようなクリエイティブな仕事はできていると思う。小説も出版することができた。

新社会人ときに欲しかったのは誰かからのアドバイスじゃなかった。自分自身に従って今やることが、あとにつながるという確信だけでよかった。