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経験しなくても得られるもの(2)

先週、電車でサンフランシスコからサンノゼにいってウィンチェスター・ミステリー・ハウスのガイドツアーに参加したことを書いた。

ウィンチェスターの屋敷をでたのは午後4時を過ぎていた。そのときにはすっかり安心しきっていた。あとは帰るだけだ。もうどこでバスに乗ればいいかも、どうやって電車に乗ってどれくらい時間がかかるかもわかっている。売店でサンドウィッチといっしょに、馬鹿みたいにでかいボトルのアップルジュースを買った。帰りのバスは来るときに2時間もかかったのが嘘みたいにあっけなくサンタクララの駅に到着した。時刻表を見ると、次の電車まで30分近くあるらしい。しばらく待っていると、電車がやってきた。来るときに乗ったシルバーのとは違う、ブルーの車両だ。周りの乗客が乗り込んでいく。まだ電車の時間までは10分くらいあるはずだったが、なんの疑いもなくわたしもその電車に乗った。行き先は書かれていない。

電車が発車して、車窓から外を眺めた。わたしは実は気づいていた。駅を出発するときに、電車に乗らなかった客が数人いたことに気づいていた。駅はぐんぐん遠ざかっていった。次の駅の名前は覚えている。念のため到着したら駅の名前を確認しておこう。長距離列車なので、駅の間隔はかなり離れている。

結果的には、確認するまでもなかった。車掌がやってきてわたしが差し出したチケットを見るなり、これはCaltrainじゃないから次の駅で降りろといった。いわれたとおり次の駅で下車する。もちろん、覚えていたのとは違う駅だったが、このときはあまり深刻に考えていなかった。また少し寄り道をしてしまったが、同じ電車に乗って戻ればいいだけだ。だが時刻表を見て目の前が暗くなった。次の電車が来るのは2時間半もあとだったからだ。それからサンフランシスコまではさらに1時間半かかる。そんなはずはないと思って、近くにいた女性に、サンタクララ駅に戻るにはどうすればいいのかと尋ねてみた。わたしはよく知らないからといって別の男性に聞いてくれたが、やはり他に電車はないらしい。今日のうちにサンフランシスコに戻らないといけないんだというと、その男性はすまないがぼくにはなにもしてあげられない。本当にすまないと本当にすまなさそうにいって去っていった。女性がタクシーを呼ぶしかないといって、わたしの携帯は通話ができないんだというとそうかとタクシーを呼んでくれた。そして女性もどこかへいってしまった。なんか親切なのか不親切なのかわからない変な感じだったが、アメリカ人は具体的に要求されない限り他人になにかをしてくれたりはしない。駅にはわたしだけが取り残された。タクシーは本当にくるのかもわからなかった。さんざんそのへんをうろうろしながら待っているうちにタクシーがやってきた。元の駅に戻るためにそれなりの時間と$30を費やした。そしてまた電車を待って、サンフランシスコ行きのCaltrainに乗った。車内でようやく買っておいたサンドウィッチを食べた。朝からなにも食べていなかった。モーテルに帰るとぐったり疲れてビールだけ飲んでそのまま眠った。

日本に戻る朝にもトラブルがあった。予約していた空港までの乗り合いシャトルが途中で追突されて、動けなくなった。運転手は乗客のことを完全に無視して事故処理にあたっていたので、乗客は自力で空港までの足を確保しなければならなかった。英語が不自由で土地勘もないわたしはなにもすることができなかった。幸い、乗客のひとりがハイヤーを呼んでくれて言われるがままに相乗りで空港まで到着し、無事帰国することができた。運賃を払わなかったが、どういうシステムになっていたのか今でもわからない。

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海外に行ってなにかをするというのは基本的に大変なものだ。お金も時間もかかるし、体も疲弊するし気苦労も多い。わたしたちはその大変だということを知っている。そして、その先になにがあるのかもおおよそ知ってしまっている。中学校の修学旅行のように、見るものすべてが新しいというような経験をすることはほとんどない。わたしが訪れたウィンチェスター・ミステリー・ハウスはおおよそこのようなところだった。何十時間も飛行機にのって、バスや電車を間違えてたどり着いた景色と同じだ。

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わたしの元妻は、フィレンツェが好きなのだといっていた。フィレンツェを訪れたことは一度もないし、飛行機が嫌いなので行く気もない。テレビで見られれば十分だといっていた。もちろん、実際に行って体験しなければ得られないことはまだたくさんあるが、その情報量の差は確実に縮まっている。同じ情報が得られるのであれば、行ったという事実はさほど重要なことではない。宇宙や深海にしても、人間がその場に行くということに対して人類のロマン以上の意味はない。断っておくけど、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの体験はわたしにとって間違いなくすばらしいものだった。同じ体験ができる方法は今のテクノロジーではまだない。でもそれはあくまでもわたしにとって思い入れがあるからで、わたしにとっては行く価値があったと思っている。マーライオンの実物をわざわざ行って見てみたいとは思わない。

これからは珍しいものが見られる場所は観光地として重宝されないのではないかと思う、それよりも行って気持ちがいいとか、パワースポットのような肉体的な体験によってしか得られないものがある場所が好まれるのではという気がする。