肉体的な気持ちのよさ

先週末は沖縄で、とあるハッカソンに参加した。ハッカソンというのはコンピューターのハックとマラソンを合わせた造語で、主にプログラマーがひとつの場所に集まって何日かぶっ通しでプログラミングをしてソフトウェアをつくりあげるというイベントだ。もうすぐ40歳だし夜も朝も苦手なので3日間も昼夜を問わずコードを書き続けるというのはとてもつらくて普通はドーピング的な目的でレッドブルを飲むというのがハッカーの文化的には正しいのだけど、わたしは肉体的なつらさをごまかすためにずっとビールを飲み続けながらコードを書いていた。おかげで車の運転をほとんどせずに済んだ。

今回は沖縄のあるIT企業主催のハッカソンに招かれたかたちの参加だったのだが、そこにいたエンジニアはみな若く、優秀で、沖縄の風土もあるかもしれないが気持ちのいい人ばかりだった。わたしは地方のSIerをはじめとするIT企業がどんな悲惨な状況下をよく知っているので、沖縄にこんなにエッジのきいた人材を多く採用できている企業があることにまず驚かされた。彼らの目標は、沖縄の基地収入である2000億を超える外貨を稼ぎ出すことなのだそうだ。そうして初めて沖縄を変えられるのだと。途中沖縄の郷土料理が差し入れられたり、三線を弾いてもらったりとおもてなしをいただき、ハッカソンが終わった頃には肉体的にはかなり疲労していたけど、気持ちのいい人たちといっしょに仕事ができて、心地よい充実感を感じることができた。3日間外界と切り離されていたので、サッカーも観ていないしAKB総選挙がどうなったかも知らなかった。

前回のエントリーで、遠くへ行ってなにかをするモチベーションがどんどん薄れていっているというようなことを書いた。肉体的な体験が得られない場所には、実際に行く価値がないとも書いた。わたしは彼らに会うためにもう一度沖縄に来たいと思った。考えてみたら、誰かと会ってコミュニケーションをとるというのは究極の肉体的な体験だ。会いに行けるアイドルの握手会に人が集まることがそれを象徴している。わたしが毎日オフィスに行くのは人に会うためだ。もちろんSkypeやテレビカンファレンスを使うこともできるが、やってみると情報量が圧倒的に違うことがわかる。テレビカンファレンスでは視線の動きや声の微妙なトーンといった感情的な情報が欠落するため、相手が怒っているのではないかと不安にかられることがある。一方向の伝達では問題ないが、謝罪をしたり、説得したりというノンバーバルなコミュニケーションを必要とする場面には使えないし、愛の告白にも向かない。

人をどこかに来させたかったら、そこにしかないなにかか、肉体的に気持ちのいい体験のどちらかを提供する必要がある。そういう意味では、普通の書店とか映画館はますます厳しくなるだろう。ターゲットを絞って専門書を扱うとか、今の3D映像が発展したような体験型の映画を発明したほうがいいかもしれない。

逆にこの人に会いたいという人がいれば、どこであっても人は行くだろう。松山にわたしの行きつけのレストランバーがある。全国に常連の客がいて、わたしも帰省すると必ず立ち寄るが、それはそこにいるとマスターやスタッフや他の客と話をしながら心地よい時間を過ごせるからだ。そういう店はスタッフの人選に手を抜かないし、雑誌などで紹介されて新規の客が増えるのもあまり好まない。すぐに来なくなる新規客よりも、常連客が気持ちよくいられることを大事にする。そういう店には客が何度も足を運ぶ。

来年もまた彼らに会うために沖縄にいきたい。