先生とギターとマンドリンの話

何年か前に地元のバーで飲んでいたら、たまたまわたしと同じ高校に通っていたという大学生がいて、話をした。何の部活をやっていたのかと尋ねたら、ギタマンす、と答えた。ギターマンドリン部というのが正式な名称らしかった。学校でバンドの練習をして、文化祭やなんやでライブをするのだそうだ。大人たちに不満を持つ若者たちは、衝動的にギターを手にとって声の限りに叫ぶものだ。学校の部室で学校や社会に反抗する歌をうたっても、なんの説得力もない。マンドリンはやってんの? と聞いたらそんな楽器は見たこともないという。

わたしが高校に入学したとき、その部はただのマンドリン部だった。ギターマンドリン部という名前になったのは、高校2年の春だ。ギターマンドリン部の初代部長は、わたしだった。

マンドリン部の部室は旧校舎と呼ばれていた木造の校舎の一角にあって、ほとんど使用されておらず、主に生徒が煙草を吸うために用いられていた。その頃はまだ社会全体が煙草に寛容な時代だった。職員室でも普通に教師は煙草を吸っていたので、生徒が少々ニコチン臭くてもわからなかった。教師の中にひときわ煙草臭いけんぞう先生という教師がマンドリン部の顧問だったせいもある。

けんぞう先生は英語の教師で、ときどきなんの前置きもなくギターを教室に抱えてきては、ボブ・ディランやらクリーデンス・クリアウォーターやらを歌って生徒に聴かせた。無精ひげで、頭髪は当時すでに後退していた。グレイトフルデッドのメンバーにしてもおかしくないような風貌だった。煙草の吸いすぎで肺をやられているとか、飼っていた猫が捕まえてきた鳩を焼いて食ったことがあるという逸話を持っていた。ギターがうまくて、フラメンコも弾けたりした。

わたしは成り行きでマンドリン部に入部した。なにか部活に入らないといけないというのと、ほとんど活動がないというのが理由だった。マンドリンという楽器は見たこともなかった。ギターと同じようなものだろうと思っていたが実際はぜんぜん違っていた。同じ音の対になった弦が4組ずつ8弦あって、基本的に単音を刻んで弾く。チューニングもギターとは違う。新入部員はわたしともうひとり、2年の先輩がふたりいたが、ふたりともマンドリンは弾けなかった。1年の文化祭では3日だけ練習して校歌をマンドリンで演奏した。なぜかけんぞう先生と用務員のおじさんがギターを弾きたいと言いだして、いっしょに弾き語りでドック・オブ・ザ・ベイを歌った。用務員のおじさんマジで関係なかった。

ドック・オブ・ザ・ベイ

ドック・オブ・ザ・ベイ

2年のとき、同級生のお兄ちゃんがいらなくなったドラムセットをくれるというので、けんぞう先生の車で取りに行った。先生の車にはFENがかかっていて、めちゃめちゃ煙草くさかった。途中で腹が減ったというのでモスバーガーに入ったが、パンじゃないのはあるかといって店員を困らせ、結局きんぴらライスバーガーを食べていた。立て続けに煙草を吸いながら、お前らもすってるやろ、欲しかったらやるぞといわれたがいえ吸ってませんと嘘をついた。その日のうちにドラムセットを部室に運んで、爆音で演奏していたら突然体育教師が4、5人やってきて、けんぞう先生は連行されていった。その後ろ姿は、屈強な警官たちに囲まれたしょぼくれたヒッピーみたいだった。わたしは、愛と平和が暴力によってかんたんに弾圧されることを知った。学校にヒッピーはいらない。

夏休みが明けて部室にいったら、部室にはいらなくなった机や椅子やらが山積みにされていて、練習するスペースはどこにもなかった。ドラムセットやアンプなどの機材も隅に追いやられていた。わたしはすぐに隣に部室がある吹奏楽部のしわざだとわかった。顧問の音楽教師はわれわれを目の敵にしていた。やつらはただ夏休みのあいだ毎日ピーヒャラ笛を吹いていたわけではなかったのだ。わたしはけんぞう先生にかけあって、机を撤去してもらうように頼んだ。実際に机が撤去されたのは、文化祭の1ヶ月前だった。わたしは異様に殺風景になった部室で、文化祭でライブをすることを決めた。ライブをするにはPAやまともなアンプが必要だ。ギターマンドリン部の部費は一円もなかった。その話をしたら、けんぞう先生は、そんなもんわたしが出したるわ、といった。そして本当に費用を出してくれた。軽く10万以上はかかったと思う。文化祭の費用が教師個人のポケットマネーから出されるのを黙認する学校もどうかと思う。

そんなわけで、ギターマンドリン部は学校史上初めて文化祭ライブを行った。そのときのことは恥ずかしいので書けない。3年のときは予算がとれたのかけんぞう先生のポケットマネーではなくなって、少し機材がましになった。

卒業するとき、けんぞう先生はなんか好きなCDを買ってやるといって、レコード屋に連れていってくれた。わたしは、リリースされたばかりのレニー・クラビッツのAre You Gonna Go My Wayを選んだ。邦題は「自由への疾走」。卒業にふさわしいアルバムだった。そのCDは何度も聞いた。大学3年のときにお金に困って中古CD屋に300円で売り払われるまで何度も聞いた。

わたしはバーでその大学生に向かって、おれとけんぞう先生がつくったギターマンドリン部をギタマンとか呼ぶのはやめろといった。大学生はまったく興味がなさそうだった。

そのあと、地元で毎年行われているフルマラソンの大会の完走者リストの中に、けんぞう先生の名前があるのを見つけた。もう60は超えているはずだ。肺が悪いといっていたのは嘘だったらしい。今でも飼い猫が捕まえてきた鳩を食ったりしてるんだろう。

あんなにむちゃくちゃでわたしに優しくしてくれた教師は後にも先にも会ったことがない。英語を教わった記憶がいっさいないのが残念ではある。

Are You Gonna Go My Way

Are You Gonna Go My Way