従業員という記号が存在しない世界

こちらのブログを読んだ。

15分間の罵倒: いろいろにっき。

私がそれを浴びせられても心がこわれなかったのは、それは私っていう人格のために選ばれた罵倒じゃなくて、「従業員」っていう記号に向けられた罵倒だったからねー。

こちらのブログの方にまつわる議論がいろいろあるのは置いておいて、あえてこの内容が事実だとしてみる。とても大変だっただろうと思う。そして日本人はこの手の話が好きだ。横暴なおじさんクレーマーから放たれる呪詛を受け流すのは並大抵のことではない。たとえ自分個人の人格に向けられているのではないことを理解していたとしても、15分も罵倒を受けながら冷静でいるのは難しいことだ。同じフロアのサポートデスクに勤める聡明で沈着な女性たちが打ちひしがれているのを、何度も目にしたことがある。

このブログを書いたのがおじさんであろうがそんなことはどうでもよくて、大事なのはこの話には共感を得るポイントがいくつかあるということだ。同時に、この話は日本以外では理解されないだろうなと思う。店は売り上げと無関係な作業に給料を支払い、客は店に対する具体的な要求をなにもすることなく、無駄に時間を費やしたことになる。

日本人は、職についた瞬間から、その職を代表する一員として役割を演じることが求められる。コンビニの店員はコンビニの店員を演じるし、航空会社のCAはその役割を演じることが求められる。そして客のほうも、コンビニというものの一員としてその人を認識する。マクドナルドのスタッフの名前や顔をいちいち覚えていたりはしない。CAはみな同じ動作で非常設備の説明をするし、髪型や話し方も似ていて見分けがつかない。ユナイテッドエアラインのCAは人種も性別も年齢もさまざまで、機体が飛び立つまで思い思いにおしゃべりをしている。あくまでも個人として仕事をしている。社員教育が行き届いていないといえばそれまでだが、彼らは自らの職務範囲と権限を常に意識して業務を行っている。だから職務範囲でないことはいっさいやらないし、権限のないことはやってはいけない。客のほうもそれを理解している。先日、日頃お世話になっている人がアメリカに移住した。荷物の搬入を引っ越し業者に頼んだら、マンションの管理人がアポイントがないとして頑として譲らなかったという。そんなときは管理人といくら話をしてもだめで、管理人を管理している側と直接交渉しないといけない。例外処理をする管理人は管理人として失格ということになる。運転免許を取りにいったら2時間並んだすえに外国人向けの書類が一枚足りないといわれて追い返されたそうだ。苦痛はコンビニの客の比ではない。アメリカはクレーム社会だとよくいわれるが、クレームとは末端の従業員を罵倒するということではない。クレームというのは、しかるべき窓口に対して、相手に非がある根拠を明確に示し、具体的な要求をするということだ。

最近、ニューヨークヤンキースの田中投手が自身の故障について謝罪したことが話題になった。アメリカ人はなぜ謝罪をしたのか理解できなかったらしい。田中投手はニューヨークヤンキースという共同体の一員として、役割を与えられているにも関わらず期待に応えられなかったことに対して謝罪をしたのだと思う。日本人の感覚としては不思議なことではないが、アメリカ人はニューヨークヤンキースを代表する人間として田中投手を見ているわけではない。ただひとりの才能のあるピッチャーが故意でもなく怪我をしたことに対して謝罪する様子は、奇異なものに映る。

先日、サンフランシスコにいったとき、協業の打診をしている会社を訪問した。本当は同行していた上司といっしょに行く予定だったが、急遽上司に予定ができてひとりで訪問することになった。その会社を訪問するのは初めてだった。アポイントをとっていた担当者から、あなたはなにをしに来たのかと尋ねられ、テクニカルな問題を解決しに来たのだと答えた。具体的な契約についてはあとで上司とコンタクトをとってほしいと告げると相手の態度が変わって、技術の話をそそくさと終えるともう帰ってほしいといわれた。せっかく日本から来たのに失礼だなと思ったが、帰り際は非常にフレンドリーに入り口まで送ってくれたから悪気はないのだとわかった。相手はわたしを会社の代表として見ているのではなかった。一介のプログラムマネージャーの権限を見抜いて対応をしただけだった。日本企業は権限があいまいなので、末端のエンジニアであっても対応が取引を左右することがある。

従業員という記号が存在しない世界でどうふるまうか、考えてみるのも悪いことではない。