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予定だとそのみんなが裸になって、年取った女の人が映画に撮るわけ

大学1年生のとき、朝いつものように造形の授業を受けるために教室にいったら、部屋中のカーテンがすべて閉められてあった。今日はオイルバーでなにか描くということだけ伝えられていたので、わたしたちは真新しいオイルバーを広げて床にすわり、先生がくるのを待っていた。しばらくすると先生は白いガウンをまとった女性を連れて現れて無言で女性をわたしたちの前に立つよう促した。女性は化粧っ気がなく、髪も染めておらず、若くもおばさんでもなかった。女性は我々には関心がないというように無表情でガウンを脱いで全裸でわたしたちの前に立ち、ポーズをとった。どんな絵を描いたのかはまったく覚えていない。覚えているのは、隣に座っていた学生が全身を青に塗っていたことと、陰毛を描くのを戸惑ったことだけだ。その後も何度か、ヌードデッサンの授業があった。ヌードデッサンの後は決まって材料力学の授業だった。断面二次モーメントの計算をしながら女性の裸を思い出したりはもちろんしなかった。

先日、丸の内の三菱一号館美術館でバルテュスの写真展を見た。館内は女性客やカップルが多かった。展示されている写真は掛け値なしにどれも美しかったけど、眉をひそめる人もいるだろう。わたし自身も、涼しい館内を歩きながらやましいことなどなにひとつないという顔で写真を眺めていることに軽い背徳感を感じた。

BALTHUS: The Last Studies at Gagosian Gallery 976 Madison Avenue, New York

芸術かわいせつかという論争はいつの時代にもある。最近だと日本で女性芸術家が逮捕されたという事件や、愛知県の美術館でゲイの男性が裸で写っている写真がわいせつにあたるとして一部を布で覆い隠すということもあった。記事によると、警察に匿名の通報があったのだそうだ。こういうときは、いつも、芸術なのかわいせつなのかという議論がくりひろげられる。裸のマハは裁判にかけられ100年近くも美術館の地下室に封印された。ゴヤは美しいものを守るため、そのカモフラージュのために着衣のマハを描いた。

わたしは、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」もナボコフの「ロリータ」も大好きだ。もちろんどちらも優れた文学作品として評価されているが、正直そんなことはどうでもいい。芸術かどうかの判定など無意味だ。芸術だからいいとか猥褻だから悪いというものはない。エロ漫画が芸術だと認定されたからといって、誰もがエロ漫画を見たくなるわけではない。村上隆はよくて永井豪は悪いはずがない。

愛知で警察に通報をした人は自分が不快に思ったから、こんなものが存在するのは許せないと思ったのかもしれない。それをこれは芸術だからいいんですといっても納得しないだろう。一方で、表現の自由は憲法によって保障されている。美術館側に非があるとしたら、予めこの人に展示物の内容を知らせなかったことだ。

前回、正しさについての記事を書いた。

  • 幸福の最大化(美しいと思う人と不快に思う人がどれくらいいるか)
  • 自由の尊重(見たくないものを見ない権利が保障されるか)
  • 美徳の促進(社会道徳に反していないか)

この基準に従ってレーティングをして、見るかどうかは個人にゆだねればいいのだと思う。芸術かどうかという基準は必要ない。

iPhoneのアプリでは、4歳、9歳、12歳、17歳以上というレーティングがある。アーティストがデッサンをするときに使われる、3Dで人体ポーズを表示するアプリがあるが、これは女性モデル男性モデルともに、12歳のレーティングになっている。芸術かどうかは関係がない。ちなみにiPhoneではポルノや暴力的とみなされたアプリは公開することができないがこれはAppleのブランドとかイメージ的なものだろう。

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芸術は特権ではない。ただ70年代にセックス・ピストルズを理解できることが特権であったように、芸術を愉しめることは特権であってほしい。

ロリータ (新潮文庫)

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