ゲーセンのおばちゃんが実践したマーケティング術

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小学生のころ、近所にゲームセンターがあった。もう30年も前のことだけど仮に店の名前をチェルシーにしておく。当時はゼビウスの全盛期だった。こどもたちはソルを見つけては驚喜し、アンドアジェネシスに誰もが一度は玉砕した。

チェルシーは当時、知る人ぞ知るゲーセンだった。古い雑居ビルでひっそりと営業していた。大型の店舗を含めて、ゲーセンは近所に何件もあったが、おれはチェルシーに行ってるというと、わかってるやつと見られるような、そんなゲーセンだった。店内は狭く、電子音が鳴り止むことはなく、よどんだ空気の中暇をもてあました少年たちが背中を丸めていて、他の店とそんなに変わっているところはなかった。ひとつ違うところといえば、他の店は店員という存在が希薄で、呼べばでてくるくらいのものだったのに対して、チェルシーはいつも店のおばちゃんが入り口のカウンターにすわっていた。小太りの40代くらいのおばちゃんで、いつも青い上下のスエットを着ていた。

おばちゃんは営業中はいつもそのカウンターにいた。いつもおばちゃんと呼んでいたので名前は知らない。経営者なのか雇われていたのかも今となってはわからない。いつもにこにこしていて、感じのよいおばちゃんだった。チェルシーでは冷蔵庫に何本も冷水がストックされていて、客は喉が渇いたらいつでもその水を飲んでよいことになっていた。初めての友達を連れてチェルシーに行くときはいつも、知った顔で冷蔵庫を開けて、水を飲んで見せるのだった。わたしはチェルシーに頻繁に通った。銭湯にいくといって祖母にもらった300円をチェルシーで使い切ったりもした。

おばちゃんは店のファンをつくる能力に長けていた。休日の昼などに行くと、ときどきおばちゃんは常連の客にだけインスタントラーメンを作ってくれた。常連でない中学生たちのうらやましそうな視線を尻目に、わたしはサッポロ一番をすすった。航空会社がやるのと同じ、優良顧客サービスというやつだ。それから、警察や補導員が見回りに来たときなどは優先して倉庫にかくまってくれたりもした。常連にラーメンを作ることを除くと、おばちゃんの仕事はおもに、水の補充と両替だけだった。チェルシーでは両替機ではなく、おばちゃんが手で両替をしていたのだ。当時のゲームは50円硬貨を入れるものだったので、両替は必須だった。意図的なものだったのかはわからないが、おばちゃんは自分の手で両替を行うことで、どのこどもがどれくらいゲームをしているか把握することができていたんだと思う。

4年生の夏休みに、わたしはおばちゃんにいっしょに絵を描こうと誘われて、店の2階で大好きだったドルアーガの塔の絵を何枚か描いた。おばちゃんは見ているだけだった。翌日その絵は店の目立つところに貼られていて、それからわたしが描いたものだけではなくてほかの中学生や高校生が描いた立派な絵が増えていった。その絵が店の売り上げにいくらかでも貢献したのかはわからないが、おばちゃんはタダでポップを描いてくれる人材を確保していたことになる。

それからしばらくすると、人気のあるゲームのスコアランキングが店に掲示されるようになった。客は自分の名前がチェルシーに掲げられることを誇りに思い、ゲームの腕を競った。わたしは一度だけパックランドのランキングで10位以内に入ったことがあるが、しょせん小学生の経済力では高校生の常連にはかなわなかった。客同士を競わせるのが効果的な戦略であるのはキャバクラやAKBを見ても明らかだ。その陰では脱落していくファンが生まれることになる。そういうこともあって、わたしは次第にチェルシーから足を遠ざけていった。

6年生のときに、友達につれられて久しぶりにチェルシーにいった。おばちゃんとは軽くあいさつをした程度だったと思う。店内はわたしが通っていたころよりも湿度が高くて、人であふれていた。友達はおばちゃんになにかカードのようなものを手渡して、おばちゃんからいくらかの現金を受けとった。わたしはよく意味がわからなかったのだが、友達はチェルシーにお金を預けてあるのだといった。お金が貯まるとチェルシーにそれを預けて、ゲームがしたいときに引き出して遊ぶのだという。現金を持たずにチェルシーに行くのが最近の常連のステータスらしかった。お前も預けたらどうかといわれたが、わたしは最近はあまりゲーセンに行かないのでと断った。

ある日、同級生が恐喝をしたことが学校にばれて、騒ぎになった。その同級生はチェルシーに金を預けていて、そのことが問題視された。担任だった女性の教師は、こどもからお金を預かるなんて、先生はそのおばさんがとても怖いと思いますと学級会でいった。わたしはチェルシーのおばちゃんが怖いと思ったことは一度もなかったので変な感じがした。今考えてみると、たぶん初期にチェルシーに預けられたお金の大半は、恐喝をしたり車上荒らしをしたりして得た、おおっぴらに持ち歩くことのできないものだったのではないかと思う。それをチェルシーに預けることで、マネーロンダリングをすることができた。そうすると店でお金を受けとるシステムをかっこいいと思った他の少年たちが真似をするようになった。チェルシーからすると、預かった金をほぼすべて店で使われることが確定されるから、都合が悪いことはひとつもない。

実は、チェルシーの2階には、ひっそりと麻雀や花札のゲームが置かれてあった。わたしはやったことがなかったが、兄貴の友達がたまにやっていた。ゲームで勝つと、お金がもらえるのだといっていた。要するに違法な賭博ゲームだったがそういうものが普通にあった時代だった。

チェルシーはその後、しばらくして閉店した。それからおばちゃんには会っていない。おばちゃんにはマーケティングの才能があったと思う。一線を越えてしまったのが悪い結果を招いてしまったが、おばちゃんには反省してほしくない。屈託のない笑顔に裏表はなかった。ただ、こどもが見てはいけない闇があっただけだ。

チェルシーのおばちゃんは今ごろどうしているだろう。