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年賀状の役割はfacebookに取って代わられている

紙を手に取ることがめっきり少なくなった。会社で紙を印刷する機会はほとんどない。社内のすべての情報は電子化されて共有されているので、紙の書類を目にすることはない。ときどき社外の営業の人などがわざわざ紙の書類を持参してくることがあるが、もらったらすぐに捨てることにしている。そもそも保管する場所がない。唯一印刷しないといけないのは経費の申請くらいだ。経理上の書類は紙で保管するよう、法律で決められているためらしい。偽装を防ぐためらしいが意味がわからない。コピー紙に印刷した書類を偽装する方法なんか今どきいくらでもある。ほとんど経理処理のためにプリンタを置いているようなものなので、それがなくなればプリンタは必要なくなる。

昔は仕様書やら議事録やらを紙に印刷して、ファイリングして保管しておくのが当たり前だった。今もそういう会社のほうが多いかもしれない。紙を印刷するにはコストがかかる。古い会社では書類は上司がいちいちチェックして、少しでもかすれや誤植があるとやり直しをさせられるらしい。こんな小さい字をおれに読ませるのかといってわざわざその人用に大きなフォントで印刷させられたというような話も聞く。ただの社内用の書類を保管するだけなのに、印刷コストだけでなく人件費もばかにならない。そういう風習は確実になくなっていくだろう。Webで見るならフォントやレイアウトを気にする必要はない。読む人が調整すればいいだけだからだ。ファイルやフォルダというものを実物で見る機会もなくなるかもしれない。最近はフロッピーディスクを見たことがないが増えているそうだ。だからこどもが学校でパソコンを使ったりすると、アプリケーションの「保存」ボタンに書かれているあの黒い四角はなんですかと聞かれたりするらしい。もはやフロッピーディスクはアイコンのモチーフとしてはふさわしくない。同じように、ファイルやフォルダのモチーフもそのうち意味が通じなくなるだろう。

家の中を見ても、契約書とか、保証書の類いのようにどうしても保管しておかないといけない紙もあるけど、それはしくみが追いついていないからで、本質的には電子化が可能なものだ。紙は場所を取るし、検索性も可搬性も低い。わたしはハードカバーの本は買わない。Kindle版があればそれを買うけど、なければ諦める。文庫本は買って読んだら捨てることにしている。本を保管するにはコストがかかるからだ。前にも書いたように、今は所有しないことで得られる利点のほうが大きい。

若いころは買った本はすべて家にため込んでいた。あるときそれらがなくなってもなにも困らないことに気がついた。だから本当に残しておきたいごく一部を除いて処分した。それから困ったことは一度もない。そんなだから、紙をもらうと、ごみをもらったなという気分になる。店で会計をしたときにくれるレシートとか、クーポンの類いがそうだ。そういうのはまだいりませんと断ることもできるけど、勝手に送りつけてくる新聞や広告やダイレクトメールなんかは始末が悪い。投函するだけで嫌でも目にはいるので広告として有効なのはわかるけど、毎日大量の広告が読まずに捨てられていることを考えると好ましいことではない。飛行機もわざわざ携帯でチェックインしているのに、ごみになる紙をくれるのはどうにかならないかといつも思う。せめて回収してくれればいいのだけど。

最近、ネットで年賀状の発行枚数が減少しているという記事を読んだ。

年賀葉書の発行枚数などをグラフ化してみる(2014年)(最新) - ガベージニュース

2003年をピークに下がり続けているのだそうだ。ということは2003年までは増加していたということでそれ自体意外な気がしたのだけど、これはパソコンが普及して手軽に写真付きの年賀状が作れるようになったり、企業努力によるものが大きいのではないかと思う。偶然かもしれないが、国内でソーシャルネットワーキングサービスの存在を最初に認知させたmixiがサービスを開始したのは2004年だった。

年賀状というものは、普段は連絡を取り合うことのない知人に対して、わたしは元気にやってますよとか、結婚しましたといった近況を報告したり、引っ越ししたときに連絡が絶えることがないように新しい住所を伝えたりするためのものだ。もちろん普段から頻繁にあっている上司や同僚や親戚に対して送ることもあるけど、儀礼的なものであってもらったからどうということはない。わたしは大学時代の友人や前の会社の同僚など、普段は連絡を取り合わない知人に対してのみ年賀状を送っていたのだけど、それも2年ほど前にきっぱりやめた。もらっても送り返さないことにした。考えたら、彼らとは全員facebookでつながっていて、わたしといつでも連絡が取ることができることはもちろん、お互いの近況まで逐一知っていたからだ。逆にいえば、facebookはかつて年賀状が担っていた役割を取って代わりつつある。こどもの写真をアップし、誰かの誕生日にお祝いのコメントを書き、結婚や出産の報告をする。プライベートで深刻な悩みをfacebookで告白するような人はあまりいない。親や上司が見ているかもしれない場所で愛を語り合ったりもできない。親密な友人同士のやりとりにはLINEやメッセージを使ったりするのだろう。facebookにとって面白いことかどうかはわからないけど、インフラになるということはそういうことだ。

最後にまったく矛盾することを書くけど、わたしは紙の本や手紙が好きだ。ページをめくる手触りが好きだし、誰かのことを思って心を込めて書かれた手書きの年賀状をもらってうれしくない人はいない。そういう質感とかまごころとかいったものは、紙に書かれた情報とは別の付加価値を生むものだ。紙は紀元前のパピルスの時代から、情報を伝えるためのものだった。その役割はもう十分果たしたといっていいと思う。