なんで食べることを強要されるのだろう

クラス全員で給食1年間完食 国分寺中|下野新聞「SOON」

国分寺中2年5組が20日、クラス33人全員で「年間給食完食」を達成した。 全員で助け合いながら残飯をなくし、食の大切さを学んだ。 古口紀夫市教育長は「素晴らしい、聞いた事がない。クラスのまとまりがある証でしょう」と話している。

こういうニュースを読むと、こどものころ無理矢理給食を食べさせられていたことを思い出す。20年前までは、給食を残さないのが当たり前だった。残そうとしても許してもらえず、休み時間や放課後まで食べさせられている同級生もいた。そういうのはだいたい女の子で、ときどき我慢できなくなって教室で吐いてしまう子もいた。

わたしはこどものころから痩せていて、痩せていることがコンプレックスだった。周囲は悪気もなく、お前は痩せているとかガリガリだとかもっと食べろとかいってくる。なんでデブにはいわないくせに痩せたやつにはそんなに遠慮なくいってくるんだろうと不思議に思っていて、人から食べることを強要されるのが大嫌いだった。中学生くらいから食べることがプレッシャーになっていって。だんだん人前で食事をすることが苦痛になっていった。特に林間学校とかそういう泊まりがけでどこかにいかないといけないのは苦手だった。決まった時間に他のみんなと一緒に決められた食事をしないといけないからだ。わたしはパサパサしたパンを噛みながら、あと何回食事をしないといけないと数えていた。中三のときに、給食をまったく受け付けなくなった。給食が机に並べられただけで目の前がぐるぐる回るような感覚になって、吐き気がした。祖母に連れられて病院にいったらバリウムを飲めといわれたがそんなものが飲めるわけもなくて、半分飲んで吐いた。何回か吐いては飲んでを繰り返して、医者は異常はなさそうだといった。結局先生に話して、その一年間は給食を一切食べなかった。給食を食べなくても家に帰るとお腹はすいて普通にごはんは食べるので、困ることはなにもなかった。

高校生のときは弁当で残しても咎められたりしなかったのでまだよかった。それでも人前で食事をするのが苦手なのは変わらなくて、食事を残すと恥ずかしいのでなるべく友達と一緒に食事をする機会を避けた。あるとき紀伊國屋にいって、太る方法が書かれた本はないかと探したが、痩せる本はあってもそんな本はなかった。

大学に入ってひとり暮らしを始めると生活が不規則になって、自律神経がおかしくなってきたのか食べ物を食べてもすぐに吐くようになった。当時モトリー・クルーとかガンズ・アンド・ローゼスとかアメリカ西海岸の音楽が流行っていて、彼らはみなマッチョで酒とドラッグを浴びながらパーティ三昧の日々を過ごしているらしかった。わたしはそういうのにあこがれていたので、今日からめちゃマッチョになってパーティをして過ごそうと決めてピザを頼んだがプレッシャーで気持ち悪くなってモトリー・クルーになるのはその日のうちにやめた。

何度か胃カメラを飲んで検査したが特に異常はないといわれていた。その頃にはなにか自分がメンタル的な問題を抱えていることに気づいていた。だから4年生のときに、大学に定期的に来ていた精神科のカウンセラーに診てもらうことにした。医者は白髪の交じった穏やかな感じの人で、わたしは人前で食事ができないことでいかに自分が問題を抱えているかを話した。医者はわたしの言葉にうなずき、微笑み、こういった。あなたは胃腸が弱いのだ、と。どこも悪くはないが、弱いのだといった。胃腸はストレスを受けやすいから、気分や体調の些細な変化にも影響を受けて、吐いてしまったり、下痢をしやすくなってしまう。ただ、30歳くらいにくらいになると神経が鈍くなって物事をあれこれ考えなくなってくるから心配することはないといった。わたしは自分がこんなに苦しんでいるのに心配ないとはどういうことかと食い下がったが、まずは医者は自分の体質を受け入れましょうと穏やかな口調で話した。どうしても苦しいときのためにと、少量の精神安定剤を処方してくれた。

それからわたしは食べ物を残すことを恥ずかしいと思わなくなった。食べたいときは食べるし、食べられなくなったら残す。痩せているといわれてもあまり気にならなくなった。就職して生活が規則正しくなったこともあって、体調はだんだん良くなっていった。あのとき医者がいったように体重は30歳をこえたくらいから増え始めた。神経が鈍くなったかどうかはよくわからない。

わたしは自分のこどもにもっと食べろといったことは一度もない。もっと寝ろとかセックスしろとかいわれるのと同じで余計はお世話だ。そもそも今の人間は食べ過ぎなのだと思う。飢えた猫だって、おなかがいっぱいになれば食べ物を残して去っていく。残してほしくなければ量を減らせばいい。冒頭のニュースではこどもに強要することはなくて、クラスで協力しあうことで一体感を醸成しているらしい。それでも食べ物を残さないことが美徳であることを強いられるのはなぜなのだろうと思う。無理に食べるのは体に悪いし、たくさん食べられる生徒が優れているというのはよく意味がわからない。そういうゲームだと思えばいいのかもしれない。

今日は買っておいたうまい日本酒を飲みながらすき焼きを食べる。残さずに食べられるだろうかとか考えずに食べられることは本当に幸せだと思う。