勉強と学習と訓練の違い

このところ、ブログなどで「英語」と「プログラミング」に関する記事をよく目にする。このふたつのスキルが特に取りあげられることに違和感はない。この10年で、これまでハードウェアで行ってきたさまざまなことがソフトウェアで行われるようになった。テレビを家で作ることはできないが、iPhoneで動画を再生するソフトウェアであれば中学生でも作れる。メモリの拡張も、ネットワークの構成変更も仮想化技術を使ってソフトウェアだけで制御できる。インターネットと仮想化技術の発達によって、プログラミングによって実現できることが飛躍的に増えている。ソフトウェアの世界というのは箱庭みたいなものだ。箱庭が大きく、緻密であればあるほど、実現できることも増える。かつてはパソコンが操れるといっても、せいぜい内蔵されたスピーカーから音が出せるとか、絵が描けるといった文字通りパーソナルな、小さな箱庭だった。今は地球の裏側にいる人のポケットにまで箱庭が広がっている。プログラミングができるということは、その世界を意のままに操れるということだ。

英語が必要なのは、どんな産業であれ、日本国内だけで商売をするということが実質難しくなっているからだ。マーケットは頭打ちで、労働力は減り、海外からは新興国の安い製品が入ってくる。だから海外展開していない企業であっても、比較優位原則に従って、海外から人を雇ったり、食材や部品を仕入れたり、仕事をアウトソーシングしたりする。その場合、英語で現地の担当者と直接コミュニケーションできたほうが交渉や作業は円滑に進む。

個人的には、身につけることをお勧めしたいスキルというのはもっと他にもある。

UI/UXのスキル

デザインが付加価値を生むことが浸透したため優秀なデザイナーは引く手あまたという印象。かんたんにいえば絵を描くスキルだが、センスだけではなく、デザインによって問題を解決するスキルが求められる。

UI/UXがもてはやされる理由 - マチルノニッキ

論理的に考えるスキル

相手を説得するのに役立つ。また、見通しを明るくしてやるべきこととやるべきでないことを決めたり、リスクを減らすのに役立つ。

挙げてみると、どれも学校では習わないものばかりだ。そしてそれは当然なことで、スキルというのは勉強して身につけるものではなく、訓練するものだからだ。英語は習うじゃないかといわれるかもしれないけど、高校の勉強をしただけでは聴く訓練も話す訓練もしていないから会話はほとんどできない。theoryもthemeも聞き取れない。昔カナダ人の同僚にもっと英語を勉強したいといったら笑われたことがある。彼は日本語で、もっと「練習」したほうがいいねという表現を使った。studyとlearnと、practiceはそれぞれ違っていて、基本的に学校はstudyの場で、practiceの場ではない。それは間違っていないと思う。訓練というのは時間がかかるもので、適正があり、誰にでも必要なわけではないからだ。最近は子ども用のプログラミング教材みたいなものもある。画面でアイコンとコマンドを組み合わせるとかんたんなゲームみたいなものができるらしいが、そういうのはわたしは好きではない。勉強にも訓練にもならないからだ。本当に興味がある子どもは、子どもだましを嫌う。

英語とプログラミング、どちらを優先して学ぶべきか? - ICHIROYAのブログ

 「本質的なスキル」にプラスアルファとして、「英語」や「プログラミング」があり、それができれば有利になる場合が多くあるのだと思う。

わたしはこの意見に賛成だ。スキルというのは問題を解決するために使うものだ。 仕事というのはだいたいこんなふうに分類される。

  • 商品をつくるひと
  • 顧客にサービスをするひと
  • 売る方法を考えるひと
  • 人と会って交渉をまとめるひと
  • 会社や社員のサポートをする人

それぞれに解決すべき問題があって、前述したようなスキルがあれば、問題の解決に有利になる場合がある。営業がしたいのに無理にプログラミングを「練習」する必要はなくて、他に有利になる可能性が高いスキルがあればそれを磨けばいい。したいことがなにもなければ、とりあえずどちらかをやっておけば後で役立つかもしれない、というくらいだ。ただどちらも身につけるには相当の時間と労力がかかるので長続きしないし、とりあえずやるにはお勧めしない。それよりも自分がやりたいことを先に探したほうが効率的だ。それでも身につけたければ、やるしかない状況に身を置くのが一番の近道だと思う。