あの裁判の傍聴にいってみた

こちらのブログを読んだ。

裁判員をした友人に裁判員制度の流れとか詳細を聞いてみた - 941::blog

前から裁判員には興味があったんだけど、なりたいといってなれるものでもない。そういえば裁判て誰でも傍聴できるんだよなと思いながら、帰宅中の電車で裁判所のサイトを見ていた。一般的な裁判は誰でも好きなときに法廷へ入っていいらしい。途中で入っても、途中で出て行ってもいいらしい。どんな裁判をやっているんだろうと思ってサイトをまわっていたら、「傍聴券交付情報」というページがあった。傍聴希望者が多い裁判では、傍聴券というものを抽選で交付する仕組みになっているらしい。どの裁判で傍聴券が交付されるかは、ネットで公開されている

東京地方裁判所で傍聴券が交付される予定のものは3件あった。そのうちの1件が目をひいた。

東京地方裁判所  刑事第4部

日時・場所  平成○年○月○日 午前9時30分 東京地方裁判所1番交付所

事件名  航空機の強取等の処罰に関する法律違反等 平成25年合(わ)第48号等

備考  <抽選>当日午前9時30分までに指定場所に来られた方を対象に抽選します。開廷時間は午前10時00分です。

航空機の強取って、日本でハイジャックなんてあったっけと思いながら、何の気なしにググってみたら、あの事件の裁判だということがわかった。他人のパソコンをウイルスで遠隔操作して、航空機の爆破予告を行ったことがハイジャック防止法違反にあたるということなのだろう。わたしは前にハッカーが登場する小説を書いたことがある。書いていたとき、まだ容疑者は否認を続けていた。だから物語の背景としてこの事件を匂わせるエピソードを加えた。書き終わってひと月ほどたった後、ニュースで、事件の決定的な証拠が見つかって犯人が自供を始めたことを知った。日本では類を見ないほどメディアの注目を浴びたコンピューター犯罪であり、動向には関心を持っていた。なので、この裁判を傍聴にいくことに決めた。

2オクロック

2オクロック

当日、9時ごろに東京地方裁判所に到着する。霞が関駅のすぐ目の前にある。裁判所のまわりには別の事件で冤罪を主張する支援者たちがビラを配っている。あまりにも物々しすぎて、思わず建物を素通りしてしまうが、このままだとなんのために会社も半休をとってのこのこやってきたかもわからないので、気を取り直して裁判所の建物の中に入る。入口のところでは飛行機の手荷物検査場と同じように荷物を検査され、金属探知ゲートを通らなければいけない。裁判中に遺族が犯人を襲ったりしないのだろうかと思っていたけど、当然のことながら対策が取られているのだとわかった。守衛の人に1番交付所はどこですかときいたら、外だという。しかもまだ早すぎるので20分くらいに行ってみてくださいとのこと。守衛の人に礼をいったら、近くにいた特徴的な外見のおじさんにも、まだ早すぎるよ!と念を押された。そのおじさんは常連なのかわからないが受付のところでいろんな資料をチェックしたり、すぐあとで来たちょっと派手な感じの若い女の人とキャッキャおしゃべりをしたりしていた。知らない世界を垣間見た気がした。それから、交付所に行ったら整理券をくれた。最初は20人くらいしかいなくて、定員は30名くらいと聞いていたので全員入れるんじゃないかと思っていたけど、最終的には100人くらいになっていた。裁判ウォッチャーで有名なあの芸人さんもいた。もちろんさっきのおじさんと女の人もいた。ほぼ男性はスーツで、ジーパンをはいているのはわたしと、あと2、3名くらいだった。ちょっと浮いていて場違いな感じもしたが、わたしは決してHEROにかぶれたと思われたくはなかったので、努めて自然体をよそおった。

係の人が来て、これからコンピューター抽選を行うので、当選した人は整理券をもって法廷にきてくださいという指示があった。ではこちらへと通されて、歩いて行ったら、最初に整理券をもらったあたりではずれの整理券を回収しますという人が待っている。わたしのまわりの人たちはどんどん整理券をその人に渡して帰ってしまった。わたしはコンピューター抽選というのでひとりずつパソコンのボタンかなんかを押して、ピコンピコン、イエーイ当たった!とかやるのかと思っていたので、いつのまに当選が決まったのか、出来レースか! と思ってうろうろしていたら、番号の書かれた紙が張り出されてあって、そこに自分の整理券の番号があれば当選ということだった。完全に流れに乗り切れずにまたうろうろして、紙を見たら自分の番号が書かれてあった。

もう一度手荷物検査場をとおって建物の中に入って、エレベーターで8階にあがる。さっきのおじさんも女の人もいた。ものすごい強運な人なのかもしれない。そこで整理券を渡すと、手荷物をすべて没収された。法廷に持ち込んでいいのは、筆記用具とメモ、それに貴重品だけらしい。わたしはめんどうなので財布もリュックにつっこんで預けた。裁判所で働いている人の中に泥棒がいて財布なんか盗られていたらなんか面白いと思ったからだ。荷物を預けるとひとりずつ、さらに入念なボディチェックが行われた。筆箱とか、メモ用紙の中まで見せないといけない。それが終わると、法廷の前に並ぶか、待合室で待ってくださいといわれた。わたしはとりあえず並んで待つことにした。しばらく待っていると検察の人たちや弁護士の人がわれわれの前を通って法廷へ入っていった。なんでわかるかというと、いちいち検察官はいりまーすとか教えてくれるからだ。テレビで見たことのあるジャーナリストの人もちらほらいた。

で、ひととおり準備ができると、順番に法廷にとおされた。部屋は想像よりもだいぶ小さい。被告との距離は5メートルもなかった。前後3列の席があって、右側の一部分は報道関係者用になっている。わたしは素人なので2列目の席に座ったのだけど、部屋が狭く傾斜がないので前の人の頭で見えづらい。一番前に座るのがいいと思う。

裁判の内容は詳しく書かないけど、非常に興味深かった。検察と証人とが見せる高度なディベート技術は、見ていて緊張感があったし、コンピューター上の痕跡の検証については専門分野なので証言のあらを発見したり、自分なりに思うところもあった。審理は約2時間だったけど、あっという間に終わった印象がある。特に今回のは注目度の高い事件の裁判であるためか、検察側も弁護側も、ある種のオーラを帯びて見えた。外見、たたずまい、話し方など担当者それぞれに個性があった。いわゆるキャラが立っているというやつだ。そういえば被告もそうとうキャラが立っている。無責任にいえば、劇場にいるような感覚だった。法曹の世界というのはそういうところなのかもしれない。

この日の審理が終わって、外から写真を撮って裁判所をあとにした。ただで2時間もこんな面白い体験ができて満足だった。また行ってみたいと思う。

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新人の開発研修を見て思ったこと

今日は、会社で今年わたしのいる開発チームに入った新人の研修発表会があった。研修といってもすでに配属は決まっているので、いわゆるOJTというやつだ。うちの会社はクラウドサービスを作って提供していて、新人は学習をかねて製品のコードに手を入れて、好きな機能を追加してみたり、改良してみたりする。ただし研修の成果物が実際にリリースされるわけではない。今年チームに入った新人はふたりだったのだが、そのふたりの発表内容が対称的で、興味深かった。

ひとりめの新人が追加した機能は、ユーザーからの要望はまずないといっていいものだった。だが機能としては面白く、あると確かに便利かもねと思わせる内容だった。それに対して、もうひとりの新人が実装したのは、ユーザーからこんな機能もないのかといわれてもおかしくないような、想定する利用シーンがわかりやすいものだった。どちらのアプローチが優れているということではない。いわゆるプロダクトアウトか、マーケットインかというやつだ。ないニーズを作り出すか、すでにあるニーズを取り入れるか。方法はどちらでもよいが、開発は最終的にユーザーに選ばれる製品をつくらなくてはいけない。そういう意味では、ふたりとも結果的に失敗していた(製品のコードを触るのがOJTの目的なのでそこまでハードルをあげるのは可愛そうだと思っているけど)。

一度リリースした製品にしろサービスにしろ、普通は顧客からのフィードバックを得て改善したり、機能を追加していったりするものだ。ここで作り手は、「顧客が解決したい問題がなにか」ということを見極めなくてはいけない。画像が多すぎるから減らして欲しいという要望をそのまま聞いてはいけない。顧客は本当は画面をもっと速く表示してほしいのかもしれない。やるべきことは画像をやめて文字にすることではなく、画像をキャッシュさせることかもしれないし、データベースのチューニングかもしれない。データが壊れたときに直せるようにしてほしいと顧客にいわれたら、それはデータが壊れないようにしてほしいということだ。顧客は本当はどうしたいかをいわず、あえて遠回しなソリューションを提示しようとする。彼らはやさしいから、我々にできそうなことをいってくれる。この機能さえあれば、自分の問題が解決するのだと信じている。でもそれはたいてい、本質的な問題の解決にはならない。作り手は、顧客がなにをいっているのか、心の耳を傾けなくてはいけない。渡ろうとしている橋の手前に「このはしわたるべからず」と書いてあったとしたら、これみよがしに橋の真ん中を渡ってみせてはいけない。親切な忠告に従わなかったせいで橋が壊れておぼれ死ぬこともある。本当に顧客のやりたいことが理解できるまで、なにもするべきではない。

一方で、顧客は自分がやりたいことさえもわかっていない場合がある。顧客はリモコンみたいなコントローラーを振り回してゲームがやりたいとはいわないし、携帯電話をスタイラスなんかじゃなくて指先で操作できるようにしてほしいともいってくれない。WiiやiPhoneみたいな製品は、お客様の声みたいなところからは生まれないものだ。そういうものを作るのはすでにあるものを改良するよりもずっと難しい。闇の中にある問題を解決するようなものだからだ。そういうものを作りたかったら、まだ表面化していないニーズについて仮説をたてて、誰に、どんな価値を提供できれば成功かというコンセプトを作る必要がある。ここで重要なのは、仮説が正しいか正しくないか検証できるまで、コンセプトをぶらさないということだ。リモコンやタッチインターフェイスやいいねボタンといった機能が絶対ではない。コンセプトが絶対だということを忘れてはいけない。

優秀な新人のふたりはすぐに、技術を魔法のように駆使して製品を作ってくれるようになると思う。魔法は人を幸せにもするし不幸にもする。魔法使いを引退した身で恐縮ではあるけど、正しい目的で正しい魔法が使えるように、これから学んでもらえればうれしい。

ブレイキング・バッド 全62話をみた

前に書いたように、Huluでブレイキング・バッドという海外ドラマをみていた。昨日ようやく最終話を迎えた。Wikipediaによると、アメリカでは2008年の1月20日から2013年の9月29日に最終話が放送されたらしいから、約6年分を2ヶ月でみたことになる。平均して毎日2本のペースでみていた。途中で挫折しなかった海外ドラマは初めてだ。

ブレイキング・バッドのおもしろさを人に伝えようとしても、たいていはうまくいかない。癌を宣告された冴えない教師が覚醒剤を作って麻薬王になるというのがストーリーの大筋だけど、それをだれかに話しても、へえ、という反応で終わる。テロリストも出てこないし、宇宙人が人間に化けてやってきたりもしない。わたし自身、概要を聞いてもそれほど面白そうだとは思わなかった。エミー賞やゴールデン・グローブ賞を総取りという触れ込みや、ネットでの賞賛の記事がなかったら観てみようという気にはならなかっただろうと思う。

このドラマのすごいところは、62話もあるのに過不足がないところだ。50歳を迎えた余命残りわずかの主人公の物語が、まっすぐ膨れあがって、そして収束に向かって降下していく。もちろん途中にはひたすらハエを追いかけるだけみたいな、なくてもいいような回もあるけど、全体としてきれいに調和がとれている。途中で話の軸がぶれることもないし、主人公を成長させるための無駄なエピソードもない。6年も続いたドラマとしては奇跡的に思える。主人公は最初から最後まで、一貫してブルー・メスと呼ばれる覚醒剤を作り続けて金を稼ごうとする。利益を増やすために新しいディストリビューターと手を組んでは必ず対立する。

主人公のウォルターは最初、家族にお金を残すために覚醒剤を作り始めるが、どんどんエスカレートして、傲慢で自分勝手になり、感情移入できなくなる。シーズン3あたりから吹っ切れたように他人を利用し、邪魔な人間を排除し、自分の利益を守ることしか考えなくなる。だんだんと同情できなくなり、終盤はただの醜い中年の嫌なやつにしか見えなくなってくる。最終話の妻のスカイラーへの告白が、このドラマの核心を物語っている。人は他人を期待してはいけないし、誰かの期待に応えようとしてもいけない。自分のために、他者に貢献するものだ。

最後に動画を紹介する。主人公のウォルターとジェシーは、麻薬の元締めで凶悪なトゥコに拉致されてメキシコに送られそうになる。ウォルターは毒物をトルティーヤにまぜてトゥコを殺そうとする。その場にはヘクターというトゥコの叔父で痴呆の老人がいる。難なく毒殺できるように思えたが、あと1歩のところでことごとくヘクターに邪魔をされる。とてもスリリングなシーンでわたしはすべてのシーズンとおしてこの話が一番好きだ。

A Tribute to Hector Salamanca - Breaking Bad (SPOILERS!) - YouTube

35歳くらいのときにやっておいたほうがいいこと

35を過ぎて同級生にあったりすると、ときどきびっくりするくらいおじさんになっていることがある。それを見てああ自分もこんな歳なんだなと実感する。シブがき隊に例えるなら、やっくんはそこで諦めて、自分を受け入れたのだと思う。もっくんは受け入れなかったはずだ。もっくんになりたければ、それなりにお金と手間をかけなくてはいけない。八重歯が可愛いのは高校生までだ。おっさんというのは基本的に臭くて見苦しいものなので、年を重ねると普通に生活したり人様に迷惑をかけないようにするだけでもお金がかかるものだ。

親知らずを抜く

こないだ検診のために歯医者にいって、10年くらい親知らずが気になってるんですけど抜けますかと訊いたら、あっさりその場で抜いてくれた。若いときには口腔外科じゃないと抜けないといわれていたのだけど、それから時間がたったので抜けるくらい生えてきたのだと思う。こんなおっさんになるまで成長するなんて健気に思ったりもするけど、こんな簡単ならもっと早く抜けばよかった。抜いた親知らずは磨けない場所に生えていたので虫歯になっていてびっくりするくらい臭かった。お金に余裕があるなら、矯正をしたりホワイトニングをするのもいいと思う。

ピロリ菌を除去する

ピロリ菌はがんの発生原因のひとつといわれている。わたしは胃腸が弱くて頻繁に下痢になったり胸焼けがしたりしていた。胃腸科で検査してもらうとピロリ菌がいることがわかったので、ピロリ菌を除去してもらうことにした。1週間抗生物質を飲み続けるだけでよかった。じいさんとかが孫に口うつしで食べ物を与えるとピロリ菌がうつるのでよくないそうだ。除去したあとは朝口の中がさっぱりしていて、歯を磨いてもおえってならなくなった。

枕のにおいをかいでみる

たまに自分のベッドとか枕からおっさんというかおじいさんのにおいがすることがある。もちろん家から抜け出したよそのおじいさんがわたしのベッドを勝手に使っているわけではなくて、自分のにおいだということをまず認めないといけない。おっさんが4人集まって1時間も会議をしたら、会議室はおっさん臭で充満するはずだ。まず、タバコはやめたほうがいい。といってもわたしはやめてないので偉そうなことはいえない。ただ昼間は吸わないことにした。仕事中はがまんする。フレグランスもわたしは控えめにつけている。分量を間違えるとよけい臭くて周りが迷惑するので気を付けたほうがいい。どんなのを選んだらいいかわからないと思うけど、いろいろ試してみるしかない。わたしは好きでずっとつけているのがあるけど手に入らなくなるといやなので教えたくない。昔はバーバリーのこども用香水をつけていた。やさしい感じでおすすめ。

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レーシックをする

ネットではさんざんレーシックが叩かれていることはよく知っている。手術経験者の4割が不具合を感じているとか騒がれているが、どういう統計なのかはよくわからない。わたしの知人だけでざっと20人はレーシックの経験者がいて、後悔しているという話は聞いたことがない。夜に目が見えにくかったり、光がまぶしく感じることはあるがそれは手術前から説明されていたことで特別不都合はない。わたしは5年前にレーシックをして、0.1なかった視力が1.5まで回復した。これから老眼になったり目が見えなくなったりすることはないとはいえないけど、すでに十分な恩恵を受けたので後悔はしないだろうと思う。とはいえ後遺症に苦しんでいる人がいるのは事実だろうから、自己責任で。

へんな毛をなんとかする

最初に白髪を染めたのは30歳くらいのときだった。最初は美容室で半年に一回くらい染めればよかったのが、今はほとんど毎月染めないと追いつかなくなってきた。お金もばかにならなくて今はブローネの泡カラーというのを使っている。泡なので簡単だけどこの先ずっと髪を染めないといけないと思うとちょっと気が滅入る。それでもまだ禿げてないのでましではある。代わりに唇とか変なところから毛が生えてくる。鼻毛とかたまにおじいさんで結べるくらい鼻毛が伸びている人がいるけど、油断するとああなりかねないので鼻毛も手入れしないといけない。わたしは専用の鼻毛カッターを持っている。あと、もう十年もすれば日本でも下の毛を剃るのが主流になると思う。もうこの際だからいうけど、おしりの毛を除毛するのはヴィートがいいですよ。

スーツを仕立てる

わたし自身は普段スーツを着る仕事じゃないこともあってもう10年もスーツは買ってない。たまにスーツを着ると着せられている感が満載になって恥ずかしい。おっさんなのに大学生よりもスーツが似合わないといわれるのはなかなか辛いものがある。こんなふうにならないためにも、ちゃんとしたスーツは持っていたほうがいい。できたら伊勢丹でオーダーメイドのスーツとかを仕立てたらいいんだろうけど(よく知らない)、最近スタートアップで、ネットでオーダーメイドのスーツが注文できるサービスがローンチしたらしい。見たらすごく安くてびっくりした。

LaFabrics(ラファブリックス)|オンライン上で自分好みのスーツ・シャツをオーダーメイドできるオンラインテーラーサービス

クラブフロアに泊まってみる

いいホテルにはクラブフロアというものがある。クラブフロアに泊まるとラウンジでタダで酒が飲めたり専用のチェックインデスクがあったりする。ふつうは馬鹿みたいに高いけど、平日だとツインで5万円くらいで泊まれたりするので手が出せない値段ではない。東京だと、ペニンシュラ、コンラッド、フォーシーズンズ、シャングリラ、マンダリン、リッツカールトンみたいにいいホテルがたくさんあるので、せっかくなら気に入ったホテルのクラブフロアに泊まってみたらどうだろう。なんとなくこんなもんだとわかることもある。シャングリラホテルのクラブフロアはラウンジのメロンジュースがたいへん美味しかった。

ゲーセンのおばちゃんが実践したマーケティング術

photo by gamerscoreblog

小学生のころ、近所にゲームセンターがあった。もう30年も前のことだけど仮に店の名前をチェルシーにしておく。当時はゼビウスの全盛期だった。こどもたちはソルを見つけては驚喜し、アンドアジェネシスに誰もが一度は玉砕した。

チェルシーは当時、知る人ぞ知るゲーセンだった。古い雑居ビルでひっそりと営業していた。大型の店舗を含めて、ゲーセンは近所に何件もあったが、おれはチェルシーに行ってるというと、わかってるやつと見られるような、そんなゲーセンだった。店内は狭く、電子音が鳴り止むことはなく、よどんだ空気の中暇をもてあました少年たちが背中を丸めていて、他の店とそんなに変わっているところはなかった。ひとつ違うところといえば、他の店は店員という存在が希薄で、呼べばでてくるくらいのものだったのに対して、チェルシーはいつも店のおばちゃんが入り口のカウンターにすわっていた。小太りの40代くらいのおばちゃんで、いつも青い上下のスエットを着ていた。

おばちゃんは営業中はいつもそのカウンターにいた。いつもおばちゃんと呼んでいたので名前は知らない。経営者なのか雇われていたのかも今となってはわからない。いつもにこにこしていて、感じのよいおばちゃんだった。チェルシーでは冷蔵庫に何本も冷水がストックされていて、客は喉が渇いたらいつでもその水を飲んでよいことになっていた。初めての友達を連れてチェルシーに行くときはいつも、知った顔で冷蔵庫を開けて、水を飲んで見せるのだった。わたしはチェルシーに頻繁に通った。銭湯にいくといって祖母にもらった300円をチェルシーで使い切ったりもした。

おばちゃんは店のファンをつくる能力に長けていた。休日の昼などに行くと、ときどきおばちゃんは常連の客にだけインスタントラーメンを作ってくれた。常連でない中学生たちのうらやましそうな視線を尻目に、わたしはサッポロ一番をすすった。航空会社がやるのと同じ、優良顧客サービスというやつだ。それから、警察や補導員が見回りに来たときなどは優先して倉庫にかくまってくれたりもした。常連にラーメンを作ることを除くと、おばちゃんの仕事はおもに、水の補充と両替だけだった。チェルシーでは両替機ではなく、おばちゃんが手で両替をしていたのだ。当時のゲームは50円硬貨を入れるものだったので、両替は必須だった。意図的なものだったのかはわからないが、おばちゃんは自分の手で両替を行うことで、どのこどもがどれくらいゲームをしているか把握することができていたんだと思う。

4年生の夏休みに、わたしはおばちゃんにいっしょに絵を描こうと誘われて、店の2階で大好きだったドルアーガの塔の絵を何枚か描いた。おばちゃんは見ているだけだった。翌日その絵は店の目立つところに貼られていて、それからわたしが描いたものだけではなくてほかの中学生や高校生が描いた立派な絵が増えていった。その絵が店の売り上げにいくらかでも貢献したのかはわからないが、おばちゃんはタダでポップを描いてくれる人材を確保していたことになる。

それからしばらくすると、人気のあるゲームのスコアランキングが店に掲示されるようになった。客は自分の名前がチェルシーに掲げられることを誇りに思い、ゲームの腕を競った。わたしは一度だけパックランドのランキングで10位以内に入ったことがあるが、しょせん小学生の経済力では高校生の常連にはかなわなかった。客同士を競わせるのが効果的な戦略であるのはキャバクラやAKBを見ても明らかだ。その陰では脱落していくファンが生まれることになる。そういうこともあって、わたしは次第にチェルシーから足を遠ざけていった。

6年生のときに、友達につれられて久しぶりにチェルシーにいった。おばちゃんとは軽くあいさつをした程度だったと思う。店内はわたしが通っていたころよりも湿度が高くて、人であふれていた。友達はおばちゃんになにかカードのようなものを手渡して、おばちゃんからいくらかの現金を受けとった。わたしはよく意味がわからなかったのだが、友達はチェルシーにお金を預けてあるのだといった。お金が貯まるとチェルシーにそれを預けて、ゲームがしたいときに引き出して遊ぶのだという。現金を持たずにチェルシーに行くのが最近の常連のステータスらしかった。お前も預けたらどうかといわれたが、わたしは最近はあまりゲーセンに行かないのでと断った。

ある日、同級生が恐喝をしたことが学校にばれて、騒ぎになった。その同級生はチェルシーに金を預けていて、そのことが問題視された。担任だった女性の教師は、こどもからお金を預かるなんて、先生はそのおばさんがとても怖いと思いますと学級会でいった。わたしはチェルシーのおばちゃんが怖いと思ったことは一度もなかったので変な感じがした。今考えてみると、たぶん初期にチェルシーに預けられたお金の大半は、恐喝をしたり車上荒らしをしたりして得た、おおっぴらに持ち歩くことのできないものだったのではないかと思う。それをチェルシーに預けることで、マネーロンダリングをすることができた。そうすると店でお金を受けとるシステムをかっこいいと思った他の少年たちが真似をするようになった。チェルシーからすると、預かった金をほぼすべて店で使われることが確定されるから、都合が悪いことはひとつもない。

実は、チェルシーの2階には、ひっそりと麻雀や花札のゲームが置かれてあった。わたしはやったことがなかったが、兄貴の友達がたまにやっていた。ゲームで勝つと、お金がもらえるのだといっていた。要するに違法な賭博ゲームだったがそういうものが普通にあった時代だった。

チェルシーはその後、しばらくして閉店した。それからおばちゃんには会っていない。おばちゃんにはマーケティングの才能があったと思う。一線を越えてしまったのが悪い結果を招いてしまったが、おばちゃんには反省してほしくない。屈託のない笑顔に裏表はなかった。ただ、こどもが見てはいけない闇があっただけだ。

チェルシーのおばちゃんは今ごろどうしているだろう。

横浜トリエンナーレにいってみた

公式サイト

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みなとみらいの駅にも展示があります。くまみたいなやつ。あんま可愛くない。

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ラジオというか石。いやラジオ。災害時に重宝する。

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学生の悪ふざけに近いノリ

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「死亡宣告された生者、その他の章」という展示。死者扱いされたインドの人々、ウクライナの児童養護施設の子供たちなど

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眼鏡を外してからトイレに入るタイプ

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平積みになった「華氏451度」。字が逆に印刷されている。誤発注レベル。

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時計を内蔵した雑なテレビ。

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キンタマみたいなのが浮かんでいる部屋

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ワーイ

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めっちゃ威嚇する人形。ガンツっぽい。

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近くでみるとこいつが一番ガンツっぽい。

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裁判所。両脇にDJブースあり。ときどきガタンってなる。

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裁判所の裏はテニスコート。ネットは無情にも金網。

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小学生の妄想

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小学生の妄想を見守る両親

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鏡張りの檻。風呂トイレ別。

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チケットを買わなくてもタダで見られるゴミ。

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本気で作ってみたけどレベルが低すぎて放置されたと思われるゴミ。

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生ハム

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泥の中に入れるとネットで見たんだけど入れないからおねえさんにきいてみたら、前は長靴を置いてたけど勝手にそれをはいて泥に入る人がいて汚れるから撤去したとのこと。ガセ情報注意。

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水汲みに片道4時間かけたすえにこれ。

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部屋のムードを大事にするタイプの友達の家にいったときの違和感

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イッツ・ア・スモールワールド

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雑なUFOキャッチャー

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小学生のときの友達の家がこんなんだった。

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生き別れになった息子を探す目玉のオヤジ。

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休日は横浜トリエンナーレにGo!

伝説のグルーピー

photo by duskiboy

前に、渋谷ののんべえ横町で、店のマスターから、どんな不味い店でも固定客が5人は必ずいるもんだという話を聞いたことがある。わたしは飲食店に勤めたことがないのでそういうもんですかねという感じで聞いていたが、確かになんでこんなまずいのにつぶれないんだろうという店はときどき目にすることがある。

固定客というのは、店からすると継続した収益が見込めるありがたい存在だ。固定客がその店を気に入ってくれている限り、お金を払い続けてくれる。その期間が長ければ長いほど、その額は大きくなる。これを顧客生涯価値という。一般的に、成熟した市場ほど、新規顧客を獲得するよりも、現状の顧客を維持した方がより多くの利益をもたらすとされている。京都のお座敷が一見さんお断りなのはこのためだ。既存顧客を維持するには、純粋に好きになってもらうという方法のほかにも、ポイントカードなどで囲い込むという方法もある。

考えてみると、いつからか特定のタレントやグループや企業や商品に、特別執着することはなくなった。子どものころは本田美奈子と工藤静香のファンだったし、ゲームをしていたときはコナミのファンだった。高校生のときはガンズ・アンド・ローゼスやスキッド・ロウのファンだったし、ジュリエット・ルイスのファンだった。大学のときは村上龍や山口雅也のファンだった。中田英寿と中村俊輔がセリエAにいたころはスカパーで見ていたし、桜庭和志とヴァンダレイ・シウバが出る試合は欠かさず観た。家電は松下の製品を買うと決めていたし、飛行機はANAに乗ると決めていた。

今は、なんのファンか挙げてみろといわれるとちょっと困る。最近ずっと吸っていたフィリップ・モリスが統合してラークに変わったが、別に寂しい気はしなかった。iPhoneやMacを使っているけど、他にまともなものがないから使っているだけで熱狂的なアップル信者というわけではない。しいて挙げればわたしは子どものころから松山の鹿島という島にある太田屋という店で海を見ながら食べる鯛めしとさざえの壺焼きを愛しているので、その店のファンだと答えるかもしれない。でもわたしはその店にはもう数年に一度しか訪れることはないので、安定した固定客ではない。

商品には代替財と補完財というものが存在する。代替財というのはその商品の代わりに選択するもので、焼きそばUFOがなくなったらペヤングの売上は増える。JALが不祥事を起こせばANAの客が増える。わたしにとってはももクローバーZはAKB48の代替財だけど、AKB48のファンにとっては違うかもしれない。補完財というのは、商品を売るのに不可欠な別の商品のことだ。ニンテンドー3DSはモンスターハンター4の補完財だ。自動車教習所は自動車メーカーの補完財だから、トヨタは何年か前に免許をとろうというキャンペーンを展開した。補完財の価格が上がると、その商品の需要は下がる。東京湾アクアラインの料金が上がると、海ほたるの客は減る。逆にいえば、補完財が均質化して、誰でもタダ同然で手に入るようになれば、その商品の需要は増える。だから自動車メーカーにとっては、ガソリンと運転免許がタダで手に入ったほうが都合がいい。

なにが言いたいかというと、特定の商品に多数の固定客やファンがつき、価値が高止まりしている状態というのは、その上のフォーマットで商売をしている人にとって都合が悪い場合があるということだ。音楽ストリーミングのサービスをしているベンダーにとっては、個々のミュージシャンに対して固定のファンがついている状態よりも、ミュージシャンや楽曲というものが均質化して、権利を安く手に入れ、いろいろなミュージシャンの音楽を聴いてもらえることに価値を感じてもらえたほうが都合がいい。個別のミュージシャンのファンはそのミュージシャンがいなくなればサービスから去ってしまうからだ。AKB48というフォーマットにとっては、個々のメンバーはなくてはならないいわば補完財であるけど、同じ理由でひとりのメンバーにファンが集中するのは都合が悪いはずだ。フォーマットの中に代替財を増やし、固定客のつきすぎたメンバーを「卒業」させるのはそのためではないかと思う。

できることならまたなにかのファンになりたいなと思ったりもするけど、そうさせてくれないのはなにかの力が働いているからかもしれない。ただ本当に好きなものを自分で追いかけ続けるのも悪くはない。

書きながら、そういえば、もう20年もほぼ毎日キリンの一番絞りを飲んでいることに気づいた。