役割が与えられるということ

ネオヒルズ族の人が破産したらしいというニュースを見た。

何年か前に、会社の部署のメンバーでフットサルをやったことがある。当時わたしの役職は部長で、部員は30人くらいいた。わたしは球技がおそろしく下手で、それにチームスポーツができない。シュートをしても枠に飛ばない。若い社員からは、そんなシュートも打てないんですかと嫌みをいわれる始末だった。数日前にわたしはその社員に向かって、そんなコードしか書けないのかと偉そうな講釈をたれたばかりだ。もうキーパーやってくださいとグローブを渡されたがどんどんシュートが入るのでちょっと呆れられて、ボールが速すぎると言い訳をしたが誰もきいてくれなかった。

目的が違えば、人の役割も違ってくる。どれだけいい製品がつくれても、営業ができても、フットサルではなんの役にもたたない。だから本質的に偉い人というのはどこにもいない。たんに、その役割を与えられた人がいるだけだ。偉そうにしているおじさんでも、明日から会社の業績はモンゴル相撲で決めますとなったら、なんの役にもたたなくなる。目的を達成するためには、それぞれの人に得意なことをやってもらう必要がある。だから役割が存在する。一般的には、難易度の高い仕事や、ニーズのある仕事、それから誰もやりたがらない仕事をする役割は重宝される。

大事なのは、「役割は他人から与えられる」ということだ。ぼくフォワードやりたいですと志願することは勝手にできるが、決めるのは監督だったり、人事部長だったりする。この人にこの役割をやらせていいかなと考えるとき、だいたいは次の3つを満たしている必要がある。

  • やる気があるか
  • スキルがあるか
  • ニーズがあるか

だから、ある役割を担いたいと思ったら、3つのうち欠けているところを探せばいい。ふつうはやる気だけはあるものだから、残りはスキルがあるか、ニーズがあるかということになる。わたしは上海のカラオケスナックでとんでもなく歌のうまい女性をみたことがある。声量も表現力も半端じゃなくて、プロでも滅多にいないんじゃないかというレベルだった。そんな女性が何人もいた。カラオケスナックのニーズはあっても、歌手のニーズはそんなに多くないのだろう。

会社では、役割の種類はだいたい最初から決まっている。だからやる気があって、そこに求められるスキルを満たしていれば、タイミングによってはその役割を与えてもらうことができるかもしれない。最初からある役割を引き継ぐのはもとめられていることがイメージしやすいが、そういう役割が存在していないこともある。そういう場合は、役割を自分から作らないといけない。会社をつくれば社長と名乗ることができる。小説家を名乗ることもできる。実際は売上をあげるまでは社長の役割を果たしているとはいえない。だから、本当に他人からその役割を与えられるまではその役割を演じなくてはいけない。演じながらモチベーションを保ちつつ、スキルを磨いて、ニーズを作らなければいけない。新しい役割とはそういうものだろうと思う。

ネオヒルズの人はスキルがあってニーズを生み出せそうなところまではいったけど、役割があまりにも特異すぎて本当の意味でその役割を与えられる前に、心が折れてしまったのかもしれない。

ぜひ、次は別の役割で復活してもらいたい。