代わりを探すのがめんどくさい

安定供給できないものが世の中にはいろいろあって、そしてそれらは安定供給できないが故に、スーパーとかコンビニには売っていない。たとえばスーパーにはあれほど日本酒が並んでいるのに、まともな酒造でつくったまともな日本酒はほとんど置いていない。ちゃんとした製法と原料米でつくった日本酒というのは製造量に限りがあるし、その年によって出来も違うものだから、同じものがいつでも手に入るわけではない。だから販売できるのも、百貨店にある専門店やそれなりの酒屋といった、限られた店になる。わたしはスーパーに紙パックで売っているような日本酒を飲むと顔や首に湿疹ができる。若いころはそういうものしか飲んだことがなくて、味も甘ったるく酔ったおじさんが発する臭いと同じで嫌いだった。日本酒がうまいものだとわかったのは30近くになってからだ。考えると10年も損をしたことになる。

専門店といっても、日本酒はそんなに高いものではない。一升瓶で三千円程度で十分すぎるほどうまいものが手に入る。コストパフォーマンスではワインなんかよりもずっといい。あまり日本酒を飲んだことのない人のために書いておくと、何県で作られた酒であれ、原料米が山田錦100%の純米酒を選べばとりあえずはそんなに外れないと思う。決して、大手メーカーの山田錦という銘柄の日本酒のことではない。それから日本酒は基本的に冷やして飲むものだ。冷蔵庫で冷やした純米酒を口の広いコップに注いで口にふくむと、果実のような匂いがする。ワイングラスにいれてもいい。いつもは獺祭とか、作、出羽桜、楯の川あたりの香りのいい純米酒を目当てにでかけるのだけど、さっきも書いたようにいつも同じものが売っているとは限らない。そういうときは代わりに違うものを選ばないといけない。新しい銘柄を発見できるという期待感もあるが、失敗したくない、なるべく自分の好みの酒に近いものを選びたいという気持ちのほうが強い。できることなら、自分の好きな銘柄が年中いつでも手に入るという状態のほうがありがたい。ネットで探せばいつでも手に入ることは手に入るのだが、たいていは馬鹿みたいな値段がついているので手を出す気になれない。今見たら、ふだん2,800円ほどで買っている獺祭純米大吟醸はアマゾンで10,780円だった。これにさらに送料がかかる。

これがたとえばスーパーに売っているキャベツとかそういうものであれば、北海道のキャベツがなければ茨城県のにしようとか、キャベツがなければレタスでもいいんじゃないかとかいうことになる。群馬県の佐藤さんがつくったキャベツじゃないと駄目というのはよっぽどキャベツにこだわりがあって、そのキャベツが特別な場合だけだ。つまり、バリエーションがあって、違いが明らかに分かるものであるほど、好みに左右される。カップラーメンとかがそうだ。世の中にはペヤングがなくなると路頭に迷う人がいる。でもある日突然ペヤングが一斉にあらゆる店舗から姿を消すことはそうそうない。

代わりを探すのがわずらわしいものというのはほかにもある。たいていは安定供給が難しいものであるけど、トレンドの移り変わりが激しいものもそうだ。衣服なんかはたいていその年のシーズンが終われば同じものは作られない。ユニクロであってもそうだ。わたしは服を買いに行くのが嫌いではないが好きなわけでもなくて、特に店員から欲しくもない服を勧められたり試着したりするのは煩わしいので、気に入っている服とか靴とか、古くなっても同じものが欲しいと思ったりするけど、同じものが置いてあることはない。だから毎年何回かは、似たような服を探すために店員から欲しくもないものを勧められたり試着したりしないといけない。さすがに年中リーバイスの501にヘインズのTシャツにコンバースのハイカットを履いているわけにはいかないけど、本当はそんな感じで過ごせたらいいのにと思う。

それでもまだ酒や服なんかは、同じ店に行けば同じテイストの商品に出会える可能性は高い。一番代わりを探すのがやっかいなのは、人だ。美容室や歯医者、マッサージなどは、店ではなく人を目当てにして行くものだ。本当に信頼している人が辞めてしまった場合、その店に通い続ける理由はなくなる。お願いだからわたしが髪を切ってもらっている美容師さんはやめないでほしいと祈っている。辞めないでいただけるなら、半年に一回くらいよくわからないヘッドスパとかをやってみてもいい。

ものやサービスが溢れて好きなだけ選べるようになると、消費者は欲しいものを選ばないといけなくなる。よいものを選ぶためにはそれなりに勉強したり、経験したり、順番を待ったりしないといけないものもある。インターネットは手助けをしてくれるけど、欲しいものを選んでくれたりはしない。そういうわずらわしさを積み重ねることで、少しだけ人生が豊かになることもある。

勉強と学習と訓練の違い

このところ、ブログなどで「英語」と「プログラミング」に関する記事をよく目にする。このふたつのスキルが特に取りあげられることに違和感はない。この10年で、これまでハードウェアで行ってきたさまざまなことがソフトウェアで行われるようになった。テレビを家で作ることはできないが、iPhoneで動画を再生するソフトウェアであれば中学生でも作れる。メモリの拡張も、ネットワークの構成変更も仮想化技術を使ってソフトウェアだけで制御できる。インターネットと仮想化技術の発達によって、プログラミングによって実現できることが飛躍的に増えている。ソフトウェアの世界というのは箱庭みたいなものだ。箱庭が大きく、緻密であればあるほど、実現できることも増える。かつてはパソコンが操れるといっても、せいぜい内蔵されたスピーカーから音が出せるとか、絵が描けるといった文字通りパーソナルな、小さな箱庭だった。今は地球の裏側にいる人のポケットにまで箱庭が広がっている。プログラミングができるということは、その世界を意のままに操れるということだ。

英語が必要なのは、どんな産業であれ、日本国内だけで商売をするということが実質難しくなっているからだ。マーケットは頭打ちで、労働力は減り、海外からは新興国の安い製品が入ってくる。だから海外展開していない企業であっても、比較優位原則に従って、海外から人を雇ったり、食材や部品を仕入れたり、仕事をアウトソーシングしたりする。その場合、英語で現地の担当者と直接コミュニケーションできたほうが交渉や作業は円滑に進む。

個人的には、身につけることをお勧めしたいスキルというのはもっと他にもある。

UI/UXのスキル

デザインが付加価値を生むことが浸透したため優秀なデザイナーは引く手あまたという印象。かんたんにいえば絵を描くスキルだが、センスだけではなく、デザインによって問題を解決するスキルが求められる。

UI/UXがもてはやされる理由 - マチルノニッキ

論理的に考えるスキル

相手を説得するのに役立つ。また、見通しを明るくしてやるべきこととやるべきでないことを決めたり、リスクを減らすのに役立つ。

挙げてみると、どれも学校では習わないものばかりだ。そしてそれは当然なことで、スキルというのは勉強して身につけるものではなく、訓練するものだからだ。英語は習うじゃないかといわれるかもしれないけど、高校の勉強をしただけでは聴く訓練も話す訓練もしていないから会話はほとんどできない。theoryもthemeも聞き取れない。昔カナダ人の同僚にもっと英語を勉強したいといったら笑われたことがある。彼は日本語で、もっと「練習」したほうがいいねという表現を使った。studyとlearnと、practiceはそれぞれ違っていて、基本的に学校はstudyの場で、practiceの場ではない。それは間違っていないと思う。訓練というのは時間がかかるもので、適正があり、誰にでも必要なわけではないからだ。最近は子ども用のプログラミング教材みたいなものもある。画面でアイコンとコマンドを組み合わせるとかんたんなゲームみたいなものができるらしいが、そういうのはわたしは好きではない。勉強にも訓練にもならないからだ。本当に興味がある子どもは、子どもだましを嫌う。

英語とプログラミング、どちらを優先して学ぶべきか? - ICHIROYAのブログ

 「本質的なスキル」にプラスアルファとして、「英語」や「プログラミング」があり、それができれば有利になる場合が多くあるのだと思う。

わたしはこの意見に賛成だ。スキルというのは問題を解決するために使うものだ。 仕事というのはだいたいこんなふうに分類される。

  • 商品をつくるひと
  • 顧客にサービスをするひと
  • 売る方法を考えるひと
  • 人と会って交渉をまとめるひと
  • 会社や社員のサポートをする人

それぞれに解決すべき問題があって、前述したようなスキルがあれば、問題の解決に有利になる場合がある。営業がしたいのに無理にプログラミングを「練習」する必要はなくて、他に有利になる可能性が高いスキルがあればそれを磨けばいい。したいことがなにもなければ、とりあえずどちらかをやっておけば後で役立つかもしれない、というくらいだ。ただどちらも身につけるには相当の時間と労力がかかるので長続きしないし、とりあえずやるにはお勧めしない。それよりも自分がやりたいことを先に探したほうが効率的だ。それでも身につけたければ、やるしかない状況に身を置くのが一番の近道だと思う。

先生とギターとマンドリンの話

何年か前に地元のバーで飲んでいたら、たまたまわたしと同じ高校に通っていたという大学生がいて、話をした。何の部活をやっていたのかと尋ねたら、ギタマンす、と答えた。ギターマンドリン部というのが正式な名称らしかった。学校でバンドの練習をして、文化祭やなんやでライブをするのだそうだ。大人たちに不満を持つ若者たちは、衝動的にギターを手にとって声の限りに叫ぶものだ。学校の部室で学校や社会に反抗する歌をうたっても、なんの説得力もない。マンドリンはやってんの? と聞いたらそんな楽器は見たこともないという。

わたしが高校に入学したとき、その部はただのマンドリン部だった。ギターマンドリン部という名前になったのは、高校2年の春だ。ギターマンドリン部の初代部長は、わたしだった。

マンドリン部の部室は旧校舎と呼ばれていた木造の校舎の一角にあって、ほとんど使用されておらず、主に生徒が煙草を吸うために用いられていた。その頃はまだ社会全体が煙草に寛容な時代だった。職員室でも普通に教師は煙草を吸っていたので、生徒が少々ニコチン臭くてもわからなかった。教師の中にひときわ煙草臭いけんぞう先生という教師がマンドリン部の顧問だったせいもある。

けんぞう先生は英語の教師で、ときどきなんの前置きもなくギターを教室に抱えてきては、ボブ・ディランやらクリーデンス・クリアウォーターやらを歌って生徒に聴かせた。無精ひげで、頭髪は当時すでに後退していた。グレイトフルデッドのメンバーにしてもおかしくないような風貌だった。煙草の吸いすぎで肺をやられているとか、飼っていた猫が捕まえてきた鳩を焼いて食ったことがあるという逸話を持っていた。ギターがうまくて、フラメンコも弾けたりした。

わたしは成り行きでマンドリン部に入部した。なにか部活に入らないといけないというのと、ほとんど活動がないというのが理由だった。マンドリンという楽器は見たこともなかった。ギターと同じようなものだろうと思っていたが実際はぜんぜん違っていた。同じ音の対になった弦が4組ずつ8弦あって、基本的に単音を刻んで弾く。チューニングもギターとは違う。新入部員はわたしともうひとり、2年の先輩がふたりいたが、ふたりともマンドリンは弾けなかった。1年の文化祭では3日だけ練習して校歌をマンドリンで演奏した。なぜかけんぞう先生と用務員のおじさんがギターを弾きたいと言いだして、いっしょに弾き語りでドック・オブ・ザ・ベイを歌った。用務員のおじさんマジで関係なかった。

ドック・オブ・ザ・ベイ

ドック・オブ・ザ・ベイ

2年のとき、同級生のお兄ちゃんがいらなくなったドラムセットをくれるというので、けんぞう先生の車で取りに行った。先生の車にはFENがかかっていて、めちゃめちゃ煙草くさかった。途中で腹が減ったというのでモスバーガーに入ったが、パンじゃないのはあるかといって店員を困らせ、結局きんぴらライスバーガーを食べていた。立て続けに煙草を吸いながら、お前らもすってるやろ、欲しかったらやるぞといわれたがいえ吸ってませんと嘘をついた。その日のうちにドラムセットを部室に運んで、爆音で演奏していたら突然体育教師が4、5人やってきて、けんぞう先生は連行されていった。その後ろ姿は、屈強な警官たちに囲まれたしょぼくれたヒッピーみたいだった。わたしは、愛と平和が暴力によってかんたんに弾圧されることを知った。学校にヒッピーはいらない。

夏休みが明けて部室にいったら、部室にはいらなくなった机や椅子やらが山積みにされていて、練習するスペースはどこにもなかった。ドラムセットやアンプなどの機材も隅に追いやられていた。わたしはすぐに隣に部室がある吹奏楽部のしわざだとわかった。顧問の音楽教師はわれわれを目の敵にしていた。やつらはただ夏休みのあいだ毎日ピーヒャラ笛を吹いていたわけではなかったのだ。わたしはけんぞう先生にかけあって、机を撤去してもらうように頼んだ。実際に机が撤去されたのは、文化祭の1ヶ月前だった。わたしは異様に殺風景になった部室で、文化祭でライブをすることを決めた。ライブをするにはPAやまともなアンプが必要だ。ギターマンドリン部の部費は一円もなかった。その話をしたら、けんぞう先生は、そんなもんわたしが出したるわ、といった。そして本当に費用を出してくれた。軽く10万以上はかかったと思う。文化祭の費用が教師個人のポケットマネーから出されるのを黙認する学校もどうかと思う。

そんなわけで、ギターマンドリン部は学校史上初めて文化祭ライブを行った。そのときのことは恥ずかしいので書けない。3年のときは予算がとれたのかけんぞう先生のポケットマネーではなくなって、少し機材がましになった。

卒業するとき、けんぞう先生はなんか好きなCDを買ってやるといって、レコード屋に連れていってくれた。わたしは、リリースされたばかりのレニー・クラビッツのAre You Gonna Go My Wayを選んだ。邦題は「自由への疾走」。卒業にふさわしいアルバムだった。そのCDは何度も聞いた。大学3年のときにお金に困って中古CD屋に300円で売り払われるまで何度も聞いた。

わたしはバーでその大学生に向かって、おれとけんぞう先生がつくったギターマンドリン部をギタマンとか呼ぶのはやめろといった。大学生はまったく興味がなさそうだった。

そのあと、地元で毎年行われているフルマラソンの大会の完走者リストの中に、けんぞう先生の名前があるのを見つけた。もう60は超えているはずだ。肺が悪いといっていたのは嘘だったらしい。今でも飼い猫が捕まえてきた鳩を食ったりしてるんだろう。

あんなにむちゃくちゃでわたしに優しくしてくれた教師は後にも先にも会ったことがない。英語を教わった記憶がいっさいないのが残念ではある。

Are You Gonna Go My Way

Are You Gonna Go My Way

UI/UXがもてはやされる理由

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この数年の間で、UI/UXという言葉をよく聞くようになった。

Google Trendsで見てみるとキーワードのトレンドが右肩上がりなのがよくわかる。

Google トレンド

なぜユーザビリティやUI/UXといった言葉が大流行かというと、大きな理由はWebサービスやスマホアプリのビジネスが拡大したからだ。それまでの主流だった買い切り型のパッケージソフトウェアであれば、顧客が購入した時点で、売り手側の目的は達成されている。それに対して、Webサービスの多くは継続課金や広告モデルだから、ユーザーが使い続けてもらうことがビジネスの前提になる。使ってもらえなかったり、すぐに使うのをやめられてしまうと、サービスを継続できなくなるから、ユーザーをつなぎとめておく必要がある。だから機能と同じくらい使い勝手に重点が置かれることになる。デザインやユーザビリティの良さは他サービスとの差別要素にもなる。

これまで日本企業はユーザビリティにほとんど気を配ってこなかった。フィーチャーフォンやハードディスクレコーダーのUIを見ればわかる。だからWebサービスにおいては、ベンチャー企業に勝算があると思う。彼らはユーザビリティを向上させることの重要性を知っていて、新しい手法をサービスに取り入れる柔軟性もある。ただ、使い勝手のよさというものは、機能比較表みたいなものには現れないから、実際に使ってもらうためのハードルは高い。

普段何気なくつかっているAmazonのメインメニューにはあるしかけがなされている。ユーザーが最初のメニューをクリックして、右側のサブメニューにマウスカーソルが移動するまでのあいだ、多少マウスカーソルが上下にずれても、目的のサブメニューが開き続けるようになっている。これはプログラマーならわかると思うが実現するのは意外と難しい。

なぜAmazonのメガドロップダウンメニューはスムーズに操作できるのかという秘密 - GIGAZINE

Amazonのメニューのふるまいを実現するためには、

  1. デザイナーがこのふるまいをデザインできること
  2. プログラマーがデザインを実装できること
  3. 意思決定者がこのデザインの必要性を理解して、意思決定できること

をすべて満たす必要がある。デザイナーとプログラマーの距離が近く、意思決定者がユーザビリティの重要性を理解している組織でなければ実現できない。

使いやすさのコスト

海外にいってみると、使い方がさっぱりわからなくて困ることがある。大げさでなく、ドアの開け方がわからないというようなことはざらにある。

先日アメリカに行ったときに、モーテルでシャワーを浴びようとしたら、シャワーの出し方がまったくわからなかった。下の蛇口からは出るが、シャワーから出ない。

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中央の部分。温度調節はできるがシャワーの使い方は書かれていない。

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正解はここに書かれてあった。蛇口のところにある輪っかを下に引くのだそうだ。そんなんわかるか。

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ついでに洗面所の蛇口。左にひねるとお湯が出るのかと思いきや、右にひねるとお湯。

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アメリカはUI/UX研究の先進国であるが、すべてのものが使いやすいわけではない。むしろ使いにくいもののほうが多い。これは日本人にとっては励みにはなる、かもしれない。

余談だが、東京の飲食店には券売機が置いてあるところが多い。店に入るときに券売機で券を買って、注文するシステムだ。

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わたしはいつも券を買ってから、おつりを出そうとしてあのプシュッとなった目立つボタンを押してしまう。間違いなく毎回押す。このボタンは取り消しのボタンらしい。なぜほとんど使わない取り消しのボタンがいかにも押したくなるような外観なのかもわからないし、そもそもおつりのボタンと別にする理由もわからない。

エレベーターには、開ける、閉めるの2種類のボタンがついているのが普通だ。わたしの会社が入っているビルのエレベーターは、センサーが人の出入りを検知して、出入りがなければすぐに閉まるようになっている。だから閉めるボタンを押すことはほとんどない。ときどき、せっかちなおじさんが誰かが降りるたびに閉めるボタンを連打しているのを見るとなんとなくかわいそうになってくる。閉めるボタンが必要なのはエレベーターが馬鹿だからだで、昔テレビのリモコンにコードがついていたのと同じようなものだ。本来不要なものをなくすにも、コストはかかる。

肉体的な気持ちのよさ

先週末は沖縄で、とあるハッカソンに参加した。ハッカソンというのはコンピューターのハックとマラソンを合わせた造語で、主にプログラマーがひとつの場所に集まって何日かぶっ通しでプログラミングをしてソフトウェアをつくりあげるというイベントだ。もうすぐ40歳だし夜も朝も苦手なので3日間も昼夜を問わずコードを書き続けるというのはとてもつらくて普通はドーピング的な目的でレッドブルを飲むというのがハッカーの文化的には正しいのだけど、わたしは肉体的なつらさをごまかすためにずっとビールを飲み続けながらコードを書いていた。おかげで車の運転をほとんどせずに済んだ。

今回は沖縄のあるIT企業主催のハッカソンに招かれたかたちの参加だったのだが、そこにいたエンジニアはみな若く、優秀で、沖縄の風土もあるかもしれないが気持ちのいい人ばかりだった。わたしは地方のSIerをはじめとするIT企業がどんな悲惨な状況下をよく知っているので、沖縄にこんなにエッジのきいた人材を多く採用できている企業があることにまず驚かされた。彼らの目標は、沖縄の基地収入である2000億を超える外貨を稼ぎ出すことなのだそうだ。そうして初めて沖縄を変えられるのだと。途中沖縄の郷土料理が差し入れられたり、三線を弾いてもらったりとおもてなしをいただき、ハッカソンが終わった頃には肉体的にはかなり疲労していたけど、気持ちのいい人たちといっしょに仕事ができて、心地よい充実感を感じることができた。3日間外界と切り離されていたので、サッカーも観ていないしAKB総選挙がどうなったかも知らなかった。

前回のエントリーで、遠くへ行ってなにかをするモチベーションがどんどん薄れていっているというようなことを書いた。肉体的な体験が得られない場所には、実際に行く価値がないとも書いた。わたしは彼らに会うためにもう一度沖縄に来たいと思った。考えてみたら、誰かと会ってコミュニケーションをとるというのは究極の肉体的な体験だ。会いに行けるアイドルの握手会に人が集まることがそれを象徴している。わたしが毎日オフィスに行くのは人に会うためだ。もちろんSkypeやテレビカンファレンスを使うこともできるが、やってみると情報量が圧倒的に違うことがわかる。テレビカンファレンスでは視線の動きや声の微妙なトーンといった感情的な情報が欠落するため、相手が怒っているのではないかと不安にかられることがある。一方向の伝達では問題ないが、謝罪をしたり、説得したりというノンバーバルなコミュニケーションを必要とする場面には使えないし、愛の告白にも向かない。

人をどこかに来させたかったら、そこにしかないなにかか、肉体的に気持ちのいい体験のどちらかを提供する必要がある。そういう意味では、普通の書店とか映画館はますます厳しくなるだろう。ターゲットを絞って専門書を扱うとか、今の3D映像が発展したような体験型の映画を発明したほうがいいかもしれない。

逆にこの人に会いたいという人がいれば、どこであっても人は行くだろう。松山にわたしの行きつけのレストランバーがある。全国に常連の客がいて、わたしも帰省すると必ず立ち寄るが、それはそこにいるとマスターやスタッフや他の客と話をしながら心地よい時間を過ごせるからだ。そういう店はスタッフの人選に手を抜かないし、雑誌などで紹介されて新規の客が増えるのもあまり好まない。すぐに来なくなる新規客よりも、常連客が気持ちよくいられることを大事にする。そういう店には客が何度も足を運ぶ。

来年もまた彼らに会うために沖縄にいきたい。

経験しなくても得られるもの(2)

先週、電車でサンフランシスコからサンノゼにいってウィンチェスター・ミステリー・ハウスのガイドツアーに参加したことを書いた。

ウィンチェスターの屋敷をでたのは午後4時を過ぎていた。そのときにはすっかり安心しきっていた。あとは帰るだけだ。もうどこでバスに乗ればいいかも、どうやって電車に乗ってどれくらい時間がかかるかもわかっている。売店でサンドウィッチといっしょに、馬鹿みたいにでかいボトルのアップルジュースを買った。帰りのバスは来るときに2時間もかかったのが嘘みたいにあっけなくサンタクララの駅に到着した。時刻表を見ると、次の電車まで30分近くあるらしい。しばらく待っていると、電車がやってきた。来るときに乗ったシルバーのとは違う、ブルーの車両だ。周りの乗客が乗り込んでいく。まだ電車の時間までは10分くらいあるはずだったが、なんの疑いもなくわたしもその電車に乗った。行き先は書かれていない。

電車が発車して、車窓から外を眺めた。わたしは実は気づいていた。駅を出発するときに、電車に乗らなかった客が数人いたことに気づいていた。駅はぐんぐん遠ざかっていった。次の駅の名前は覚えている。念のため到着したら駅の名前を確認しておこう。長距離列車なので、駅の間隔はかなり離れている。

結果的には、確認するまでもなかった。車掌がやってきてわたしが差し出したチケットを見るなり、これはCaltrainじゃないから次の駅で降りろといった。いわれたとおり次の駅で下車する。もちろん、覚えていたのとは違う駅だったが、このときはあまり深刻に考えていなかった。また少し寄り道をしてしまったが、同じ電車に乗って戻ればいいだけだ。だが時刻表を見て目の前が暗くなった。次の電車が来るのは2時間半もあとだったからだ。それからサンフランシスコまではさらに1時間半かかる。そんなはずはないと思って、近くにいた女性に、サンタクララ駅に戻るにはどうすればいいのかと尋ねてみた。わたしはよく知らないからといって別の男性に聞いてくれたが、やはり他に電車はないらしい。今日のうちにサンフランシスコに戻らないといけないんだというと、その男性はすまないがぼくにはなにもしてあげられない。本当にすまないと本当にすまなさそうにいって去っていった。女性がタクシーを呼ぶしかないといって、わたしの携帯は通話ができないんだというとそうかとタクシーを呼んでくれた。そして女性もどこかへいってしまった。なんか親切なのか不親切なのかわからない変な感じだったが、アメリカ人は具体的に要求されない限り他人になにかをしてくれたりはしない。駅にはわたしだけが取り残された。タクシーは本当にくるのかもわからなかった。さんざんそのへんをうろうろしながら待っているうちにタクシーがやってきた。元の駅に戻るためにそれなりの時間と$30を費やした。そしてまた電車を待って、サンフランシスコ行きのCaltrainに乗った。車内でようやく買っておいたサンドウィッチを食べた。朝からなにも食べていなかった。モーテルに帰るとぐったり疲れてビールだけ飲んでそのまま眠った。

日本に戻る朝にもトラブルがあった。予約していた空港までの乗り合いシャトルが途中で追突されて、動けなくなった。運転手は乗客のことを完全に無視して事故処理にあたっていたので、乗客は自力で空港までの足を確保しなければならなかった。英語が不自由で土地勘もないわたしはなにもすることができなかった。幸い、乗客のひとりがハイヤーを呼んでくれて言われるがままに相乗りで空港まで到着し、無事帰国することができた。運賃を払わなかったが、どういうシステムになっていたのか今でもわからない。

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海外に行ってなにかをするというのは基本的に大変なものだ。お金も時間もかかるし、体も疲弊するし気苦労も多い。わたしたちはその大変だということを知っている。そして、その先になにがあるのかもおおよそ知ってしまっている。中学校の修学旅行のように、見るものすべてが新しいというような経験をすることはほとんどない。わたしが訪れたウィンチェスター・ミステリー・ハウスはおおよそこのようなところだった。何十時間も飛行機にのって、バスや電車を間違えてたどり着いた景色と同じだ。

Google マップ - 地図検索

わたしの元妻は、フィレンツェが好きなのだといっていた。フィレンツェを訪れたことは一度もないし、飛行機が嫌いなので行く気もない。テレビで見られれば十分だといっていた。もちろん、実際に行って体験しなければ得られないことはまだたくさんあるが、その情報量の差は確実に縮まっている。同じ情報が得られるのであれば、行ったという事実はさほど重要なことではない。宇宙や深海にしても、人間がその場に行くということに対して人類のロマン以上の意味はない。断っておくけど、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの体験はわたしにとって間違いなくすばらしいものだった。同じ体験ができる方法は今のテクノロジーではまだない。でもそれはあくまでもわたしにとって思い入れがあるからで、わたしにとっては行く価値があったと思っている。マーライオンの実物をわざわざ行って見てみたいとは思わない。

これからは珍しいものが見られる場所は観光地として重宝されないのではないかと思う、それよりも行って気持ちがいいとか、パワースポットのような肉体的な体験によってしか得られないものがある場所が好まれるのではという気がする。

経験しなくても得られるもの(1)

荒木飛呂彦の「変人偏屈列伝」という短編集の中に、「ウィンチェスター・ミステリー・ハウス」という作品がある。

変人偏屈列伝 (愛蔵版コミックス)

変人偏屈列伝 (愛蔵版コミックス)

銃の事業で成功した実業家の未亡人が、ライフルで殺された人々によって屋敷が呪われていると信じ、霊から逃れるための通路を作るために彼女が亡くなるまでの38年間、増築をし続けたという実話に基づいた物語だ。現在もこの屋敷はアメリカのサンノゼに存在しており、観光客向けに開放されているらしい。わたしはこの屋敷に興味があって、いつか訪れてみたいと思っていた。

先週サンフランシスコに行く機会があった。仕事の出張で行ったのだが、予定の都合でひとりで丸一日オフになってしまった。なにをしようかと考えていたら、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスのことが頭をよぎった。実はサンノゼには2度訪れたことがある。そのときはウィンチェスターがサンノゼにあることを知らなかったし、仕事が目的だったのでまったく意識することがなかった。調べてみると、サンフランシスコからサンノゼまでCaltrainという電車がでているらしい。行こうと思えば行けるということだ。外国でひとりで電車に乗って遠出をすることには不安があるが、何年も前から行ってみたいと思っていた望みが突然叶う機会が転がり込んできたとなれば、行くしかない。

モーテルからバスに乗ってAT&Tスタジアムの近くにあるCaltrainの駅まで行って、券売機でサンノゼまでのワンデイパスを$18で購入した。サンノゼまでは片道1時間半。アメリカは車社会なので、本数は多くない。1時間に一本くらいしか出ていないようだったが、運良く電車はすぐにやってきた。乗り込んだのは午前11時だった。電車は無骨な2階建ての車両で快適だった。乗客はそんなに多くない。車窓から西海岸の日差しが差し込んでくる。

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スタンフォードやマウンテンビューを抜けて、昼過ぎにサンタクララの駅についた。なにか食べようと思ったが付近には店らしきものがなかったので、バスストップを探した。60番のバスにのってウィンチェスターに行くということはすでに調べてわかっていた。60と書かれたバスが見えたのでそっちに走っていって、乗り込んだ。サンフランシスコの市内バスと同じように、乗車前に$2を払うシステムだ。車内に備え付けられてあった路線図を手にとった。しばらく眺めていると、どうやら反対方向のバスに乗ってしまったらしいということに気づいた。すぐに降りればよかったのだが、躊躇した。なぜかというと、さっきのバス代で、1ドル紙幣を使い切ってしまったからだ。前にサンフランシスコの市内バスで5ドル紙幣で払おうとしたら、乗せてくれなかったことがあった。現地の人はSuicaみたいなカードを持っていて、現金で払う人は旅行者くらいのようだ。どこかで1ドル札を調達しないといけないのだが、面倒くさくてしばらく窓越しにインテルのオフィスビルを眺めたりしてそのままバスに揺られていた。ここはマイクロソフトやフェイスブックといったIT企業がオフィスを構えるシリコンバレーだ。感慨にひたっている場合でもないと思って、運転手にこのバスはウィンチェスターに行きますかと聞いたらきっぱりとNo、といわれて、バスから降りた。

降りた場所はフリーウェイ傍の、駅よりもさらになにもない殺風景な場所で、途方に暮れた。通行人の女性に5ドル札を両替してくれないかと頼んだが、断られた。反対側のバス停でバスを待っている男性にも声をかけたが、やはり断られた。仕方がないので、あなたが同じバスに乗るのであれば、この5ドル札をあげるから、自分の分の運賃も払ってくれないかと頼んだ。だめだという。車内でデイパスを買えるからそれを買えばいいというが、いくらするのかと聞いたら$6だと答えた。だからおれは細かいのは持ってないんだといったがその男性は悪いが力にはなれないみたいなことを大げさなジェスチャーでいった。わたしは英語がそれほど堪能ではないし日本人らしく空気を読むことを美徳とするタイプなので、関わりを避けたがっている見ず知らずのアメリカ人にものを頼むのは心苦しいというよりも苦痛だったが、頼むからこの5ドルでわたしの分も払ってくれともう一度いった。相手はあそこの券売機でデイパスが買えると通りの向こうを指さした。時刻表を見るとバスはもう2分くらいで到着する。買い方が分からないのでバスに間に合わないと告げると、男性は根負けしたのか、もうわかったと券売機に連れていってくれて、デイパスを買ってくれた。その直後にバスが見えたので、ふたりとも走ってバス停に戻らないといけなかった。わたしは男性に礼をいった。その親切なアメリカ人は決してフレンドリーではない笑顔を浮かべて、東洋人の感謝の言葉を聞いていた。

それからまたバスに揺られて、降りるバス停を間違えて歩いて、ようやくウィンチェスター・ミステリー・ハウスに到着した。モーテルを出発してから4時間半経過していた。

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ガイドツアーは何種類かあるらしかった。建物の屋内のもの、屋外と地下室のもの、それからふたつを合わせた2時間半のツアー。2時間半もいるともう夕方になってしまって帰れるかも怪しいので、屋内の1時間のツアーを申し込んだ。$33くらいだったと思う。売店でなにか買おうと思ったが、ツアーはもう始まってしまうらしい。

ガイドのおじさんがあんたは何語を話すのかというので日本語だと答えたら、日本語の翻訳があるという。20名ほどの客といっしょに、ガイドツアーが始まった。撮影は禁止だというので写真は撮れなかった。建物の中はなぜか下向きに取り付けられた窓やら細長くて入りくねった階段やら、開けると壁しかないドアやら、漫画で見たとおり興味深いものがあったが、総じて感想をいうと、やたらと広い昔の西洋屋敷のツアーといわれればそういうものだった。建物が特殊という意味でもいわくつきという意味でも、日本の天守閣とそう変わったものではない。ツアーが半分くらい終わったところで、おじさんが、あーそういえば翻訳忘れてたといってどこからか日本語のガイドが書かれた本を持ってきてくれた。わたしは朝からなにも口にしていなかったので水でもいいから飲みたかったし、時差ぼけもひどくて屋敷の中を歩き回るのがだんだん辛くなってきた。

ふらふらとついてまわっているうちに、ツアーは終わったようだっあ。ガイドは本を返せといってきた。わたしはくれるのかと思っていたのでほとんど目を通していなかった。

続きます。